古寺素描3-紀州根来寺3(完)
2016年8月29日 エッセイ
平安から室町、戦国時代にかけて門跡寺院が確立されている。
、聞きなれているところでは天台宗延暦寺・法相宗興福寺が筆頭で天皇や摂関(藤原氏)の子弟が門跡に降りていて(現でいえば高級官僚の天下り先で富者相手の宗教)、それだけに朝廷との由縁は強固で保護と勢力拡張は顕著だった。形はどうあれ庶民の生活はおいてけぼり時代である。当時の寺社(社では春日大社・諏訪大社など)は多かれ少なかれ中央や地方の大名の庇護はあったようだ。その格差の狭間をかいくぐり、浄土宗法然・浄土真宗親鸞・日蓮宗日蓮の庶民派の台頭を呼ぶ図式になった。
奢った寺院の手段はいきつくところ独立した自己防衛の構築で、並みの大名以上の武力を擁しその行使を恃んだ、僧兵の登場である、たとえ僧という名があっても彼らは正式な僧ではない、なべて弁慶のような格好であるが教義がわかってる訳ではない。
恰も酒池肉林に化していた天台宗比叡山など、叡山に不利なことがあれば神輿を担いで京都の街にあらわれ傲慢にも天皇に直訴し、有利な方向にねじまげることを繰り返したほどである。朝倉浅井征伐のときの織田信長は敵方をかくまった叡山の反抗に業を煮やし全山を焼き払ったのも、宗教の傲慢と堕落の果てである。
真言宗高野山でも然り。
したがって新義真言宗の根来寺もしかり。
長承元年、鳥羽上皇の庇護を受けた覚鑁(のち興教大師)は高野山内の紛争で一門の拠点を焼打ちされ高野山を下山、近郊の岡田、山東、弘田、山崎の荘園と豊福寺(のちの根来寺)を賜り以後隆盛を誇るようになった。室町時代末期、坊舎2700、僧兵数万人をかぞえたそうで、信長没後の覇権争いの豊臣秀吉対徳川家康・織田信雄の戦いでは徳川側に味方して岸和田城を襲ったりはては摂津への侵攻をはかり大名ばりの武闘をおこなった。如何な宗教にも通じるのは、立派な開祖にして崇高な理念は後々の累代になればなるほど飛翔のように彼方へとんで消えてしまうようだ。かてて加えて種子島から鉄砲を持ちかえったのは根来寺の僧徒でかれらによって増産され、飛び道具で武装化し有名な石山合戦では雑賀衆の鉄砲隊を組織して織田信長に味方している。
天正13年に、分限を超え一大勢力になった根来寺を危惧した豊臣秀吉が紀州攻めをおこない、大師堂、大塔を残してほとんどの僧堂を消失したが、これには多説あり定説の証がない。鉄砲の弾跡といわれた箇所をみたけれど、もっともな痕跡であったが、当時鉄砲を使用した攻防はなかったらしく後世のつくり話のようだ。
それにしても紀州というところは平城・平安・浪花に近いせいか世俗の垢にまみれた希有な古寺がまことに多い。
、聞きなれているところでは天台宗延暦寺・法相宗興福寺が筆頭で天皇や摂関(藤原氏)の子弟が門跡に降りていて(現でいえば高級官僚の天下り先で富者相手の宗教)、それだけに朝廷との由縁は強固で保護と勢力拡張は顕著だった。形はどうあれ庶民の生活はおいてけぼり時代である。当時の寺社(社では春日大社・諏訪大社など)は多かれ少なかれ中央や地方の大名の庇護はあったようだ。その格差の狭間をかいくぐり、浄土宗法然・浄土真宗親鸞・日蓮宗日蓮の庶民派の台頭を呼ぶ図式になった。
奢った寺院の手段はいきつくところ独立した自己防衛の構築で、並みの大名以上の武力を擁しその行使を恃んだ、僧兵の登場である、たとえ僧という名があっても彼らは正式な僧ではない、なべて弁慶のような格好であるが教義がわかってる訳ではない。
恰も酒池肉林に化していた天台宗比叡山など、叡山に不利なことがあれば神輿を担いで京都の街にあらわれ傲慢にも天皇に直訴し、有利な方向にねじまげることを繰り返したほどである。朝倉浅井征伐のときの織田信長は敵方をかくまった叡山の反抗に業を煮やし全山を焼き払ったのも、宗教の傲慢と堕落の果てである。
真言宗高野山でも然り。
したがって新義真言宗の根来寺もしかり。
長承元年、鳥羽上皇の庇護を受けた覚鑁(のち興教大師)は高野山内の紛争で一門の拠点を焼打ちされ高野山を下山、近郊の岡田、山東、弘田、山崎の荘園と豊福寺(のちの根来寺)を賜り以後隆盛を誇るようになった。室町時代末期、坊舎2700、僧兵数万人をかぞえたそうで、信長没後の覇権争いの豊臣秀吉対徳川家康・織田信雄の戦いでは徳川側に味方して岸和田城を襲ったりはては摂津への侵攻をはかり大名ばりの武闘をおこなった。如何な宗教にも通じるのは、立派な開祖にして崇高な理念は後々の累代になればなるほど飛翔のように彼方へとんで消えてしまうようだ。かてて加えて種子島から鉄砲を持ちかえったのは根来寺の僧徒でかれらによって増産され、飛び道具で武装化し有名な石山合戦では雑賀衆の鉄砲隊を組織して織田信長に味方している。
天正13年に、分限を超え一大勢力になった根来寺を危惧した豊臣秀吉が紀州攻めをおこない、大師堂、大塔を残してほとんどの僧堂を消失したが、これには多説あり定説の証がない。鉄砲の弾跡といわれた箇所をみたけれど、もっともな痕跡であったが、当時鉄砲を使用した攻防はなかったらしく後世のつくり話のようだ。
それにしても紀州というところは平城・平安・浪花に近いせいか世俗の垢にまみれた希有な古寺がまことに多い。
古寺素描2ー紀州根来寺2
2016年8月23日 エッセイ
仏教の興隆が旺盛きわめたのは奈良・平安時代で、名だたる教義の現にある宗派はほとんどこの時代に勃興している。
統治の権威のみならず、かっての桓武天皇のような権力執行をとりもどしたい朝廷側は北条・足利・源氏・平家などの武家と争乱をくりかえした時代で、こなた朝廷は宗教界の庇護のもとに名だたる宗教に錯綜関係をもつにいたった。そのひとつ、大名に与える領地と同じような意味の荘園を各寺院に与えてしまった。寺院は肥り教団化して、わけても紀州では地元大名より多い石高をもち勢力は拮抗、本尊に帰依する僧も衆徒も信徒も抱え込む規模維持にはしり膨張するに至った。版図の拡大を窺う大名や地侍との武力による紛争、あるいは組織体質が自ずとたどりつく、自衛力増強の線上に他宗門との確執をも生むようになった。
いわゆる「僧兵」のかかえこみである。
統治の権威のみならず、かっての桓武天皇のような権力執行をとりもどしたい朝廷側は北条・足利・源氏・平家などの武家と争乱をくりかえした時代で、こなた朝廷は宗教界の庇護のもとに名だたる宗教に錯綜関係をもつにいたった。そのひとつ、大名に与える領地と同じような意味の荘園を各寺院に与えてしまった。寺院は肥り教団化して、わけても紀州では地元大名より多い石高をもち勢力は拮抗、本尊に帰依する僧も衆徒も信徒も抱え込む規模維持にはしり膨張するに至った。版図の拡大を窺う大名や地侍との武力による紛争、あるいは組織体質が自ずとたどりつく、自衛力増強の線上に他宗門との確執をも生むようになった。
いわゆる「僧兵」のかかえこみである。
古寺素描1ー紀州根来寺1
2016年8月21日 エッセイ
人気のない森閑に蝉さえ憚る巨木に彩られた空間が身を覆うようだ。信徒でもなく宗徒でもなく、さらに熱心な教徒でもないのに山奥の何処の古寺宗域にふみいれたときは琴線をはじかれるような、雑念の払拭を迫られる気配をおぼえる。
和歌山県岩出市根来が、新義真言宗総本山の根来寺のあるところ。京奈和自動車道の岩出・根来ICから東への緑濃い山中に建立されている。我が地元の歴史探訪クラブに参加させてもらって、念願叶うバス旅行をしてきた。
真言宗は空海開祖の高野山が本山だが、新義真言宗というのは空海の弟子だった覚鑁が、1132年鳥羽上皇から葛城山系にあった山岳仏教の豊福寺を院宜されたとき、名を根来寺と改称し、真言宗の本尊である大日如来と金剛サッタ、尊勝仏頂の三尊を安置信仰したことにより真言宗より独立、新義真言宗をお輿して総本山になっている。資料の上では詳しい記述はないのだが、このことによる高野山との諍いはガイドの説明にうかがえた。
宗教上での経緯はさておき、興味津津なのは信仰の清浄境地を超えて武士そこのけの領地・武力・争乱の権力行使のあざとさである。そこには信心教学を尊ぶ心得など枯葉のように舞い散り地に堕ちているではないか。
人間本来の地金は金も銀も胴もない筈である、なのに欲深さを清浄清廉し学び教える宗教は、組織され権力を掌握すれば武闘のていたらくであったことが過去の歴史には見えてくるのである。
和歌山県岩出市根来が、新義真言宗総本山の根来寺のあるところ。京奈和自動車道の岩出・根来ICから東への緑濃い山中に建立されている。我が地元の歴史探訪クラブに参加させてもらって、念願叶うバス旅行をしてきた。
真言宗は空海開祖の高野山が本山だが、新義真言宗というのは空海の弟子だった覚鑁が、1132年鳥羽上皇から葛城山系にあった山岳仏教の豊福寺を院宜されたとき、名を根来寺と改称し、真言宗の本尊である大日如来と金剛サッタ、尊勝仏頂の三尊を安置信仰したことにより真言宗より独立、新義真言宗をお輿して総本山になっている。資料の上では詳しい記述はないのだが、このことによる高野山との諍いはガイドの説明にうかがえた。
宗教上での経緯はさておき、興味津津なのは信仰の清浄境地を超えて武士そこのけの領地・武力・争乱の権力行使のあざとさである。そこには信心教学を尊ぶ心得など枯葉のように舞い散り地に堕ちているではないか。
人間本来の地金は金も銀も胴もない筈である、なのに欲深さを清浄清廉し学び教える宗教は、組織され権力を掌握すれば武闘のていたらくであったことが過去の歴史には見えてくるのである。
ローカル線のきらめき12-みまさかノスタルジー7(完)
2016年8月13日 エッセイ
県下の副都市となる津山は、北部に位置して人と企業の減少の洗礼を甘受している。
強すぎる陽光は街中を白っぽくうきあがらせ潤いを放棄しているようで、駅界隈の再開発には単なる近代化ならず杜のなかの装いをつつんでほしい、ぐるりと囲んだ緑の稜線と大河吉井川の自然をとりこんだ立体的な演出の活性化ができたらと、一重に想う。
今回は短いイベント列車の旅を満喫した。
画像上中:再開発工事中の津山駅
画像 下:みまさかノスタルジーの記念切符
・・・唯我独白・・・
とにかく暑い。部屋の温度計は昼中35度をひきずっている。パソコンの放熱もおおいに手伝っているので小一時間もすると汗がつたい、にげるように部屋を出る。空調はリモコンが行方不明なので扇風機に頼っているが、これも次第に生ぬるい風になる。メディアが昆虫のうなりのように、屋内でも熱中症になるおそれがあるとまき散らす。ときおり救急車が往復すると忍耐もほどほどにと広報しているようだ。
五輪と高校野球がダブリ冷房の部屋にとじこもり腰があがらない。万歩計の数値があがらないのは、この天候の所為だなどと言訳するにはもってのこいだ・・・
強すぎる陽光は街中を白っぽくうきあがらせ潤いを放棄しているようで、駅界隈の再開発には単なる近代化ならず杜のなかの装いをつつんでほしい、ぐるりと囲んだ緑の稜線と大河吉井川の自然をとりこんだ立体的な演出の活性化ができたらと、一重に想う。
今回は短いイベント列車の旅を満喫した。
画像上中:再開発工事中の津山駅
画像 下:みまさかノスタルジーの記念切符
・・・唯我独白・・・
とにかく暑い。部屋の温度計は昼中35度をひきずっている。パソコンの放熱もおおいに手伝っているので小一時間もすると汗がつたい、にげるように部屋を出る。空調はリモコンが行方不明なので扇風機に頼っているが、これも次第に生ぬるい風になる。メディアが昆虫のうなりのように、屋内でも熱中症になるおそれがあるとまき散らす。ときおり救急車が往復すると忍耐もほどほどにと広報しているようだ。
五輪と高校野球がダブリ冷房の部屋にとじこもり腰があがらない。万歩計の数値があがらないのは、この天候の所為だなどと言訳するにはもってのこいだ・・・
ローカル線のきらめき11-みまさかノスタルジー6
2016年8月9日 エッセイ
まなびの鉄道館2
国鉄といわれた往時の駅舎は、ローカル線になると燻んだ木造の小じんまりしたものだった。岡山駅でさえ今日の構造も及びもつかない、ローカルに毛が生えた程度だったと想うもそこから走り出した列車が日本の津々浦に繋がって武骨に動輪を駆っていると想像すれば、少年の心にはこれはもうロマンの聖域だった。ことに、新見発の大阪行き蒸気機関車の連結に乗った時のことを想うと、今でも胸が酸っぱくなる。
郷愁への増幅には鉄道館はもってこいである。
画像上:切符を買う窓口の奥はこのような光景だった
画像中:行先のホーム案内のプレート
画像下:列車につける運行区間の表示、他備品
国鉄といわれた往時の駅舎は、ローカル線になると燻んだ木造の小じんまりしたものだった。岡山駅でさえ今日の構造も及びもつかない、ローカルに毛が生えた程度だったと想うもそこから走り出した列車が日本の津々浦に繋がって武骨に動輪を駆っていると想像すれば、少年の心にはこれはもうロマンの聖域だった。ことに、新見発の大阪行き蒸気機関車の連結に乗った時のことを想うと、今でも胸が酸っぱくなる。
郷愁への増幅には鉄道館はもってこいである。
画像上:切符を買う窓口の奥はこのような光景だった
画像中:行先のホーム案内のプレート
画像下:列車につける運行区間の表示、他備品
ローカル線のきらめき10-みまさかノスタルジー5
2016年8月7日 エッセイ
まなびの鉄道館1
敷地内のおくまったところ、津山駅に近い位置に[まなびの鉄道館 展示館]がある。
ガイドの文を引用すると、
[この津山の地に遺された、価値ある鉄道遺産を後世にしっかりと伝えていくことにあわせ て、今や私たちの暮らしに深くかかわっている鉄道の成り立ち、社会や地域とともに発展 してきたあゆみ、しくみの変遷についてご紹介し、、、、]
とある。老若男女は忘我の面持ちで、よろず鉄道備品や模型の走りにとりこまれていた。
画像上;まなびの鉄道館
画像下:駅長さんの出迎え
敷地内のおくまったところ、津山駅に近い位置に[まなびの鉄道館 展示館]がある。
ガイドの文を引用すると、
[この津山の地に遺された、価値ある鉄道遺産を後世にしっかりと伝えていくことにあわせ て、今や私たちの暮らしに深くかかわっている鉄道の成り立ち、社会や地域とともに発展 してきたあゆみ、しくみの変遷についてご紹介し、、、、]
とある。老若男女は忘我の面持ちで、よろず鉄道備品や模型の走りにとりこまれていた。
画像上;まなびの鉄道館
画像下:駅長さんの出迎え
ローカル線のきらめき9-みまさかノスタルジー4
2016年8月5日 エッセイ
旧津山扇形機関車庫4
各車庫に敷かれたレールは転車台にむかっていて、その軌形は放射線状(扇形)になっているよびこんだ機関車を載せた転車台は、回転して使用するレールに連結して機関車は出ていく仕様だ。蒸気機関車の頭部は固定しているからで、特殊仕様のディ-ゼル機関車ふくめ入出庫の方向調整をこの転車台で行っている。
画像上:各ブースのコンクリート柱には収められた機関車のデータが貼られている。
画像中:転車台
画像:DD51ディーゼル機関車
各車庫に敷かれたレールは転車台にむかっていて、その軌形は放射線状(扇形)になっているよびこんだ機関車を載せた転車台は、回転して使用するレールに連結して機関車は出ていく仕様だ。蒸気機関車の頭部は固定しているからで、特殊仕様のディ-ゼル機関車ふくめ入出庫の方向調整をこの転車台で行っている。
画像上:各ブースのコンクリート柱には収められた機関車のデータが貼られている。
画像中:転車台
画像:DD51ディーゼル機関車
ローカル線のきらめき8-みまさかノスタルジー3
2016年8月1日 エッセイ
旧津山扇形機関車庫へ3
蒸気機関車3重連が橋梁のうえを猛烈な蒸気を吐いて驀進している写真が、長い間部屋の壁にかけていたがいつのまにかなくなっていた。自分の部屋だから誰のせいでもない、たいして固執していなかったから模様替えの犠牲になったのだろう。今にして残念の想いがする。昭和27年代前後に大阪の学生のころ、帰郷するさいの列車は山陽本線そして姫新線を利用するので、そのころは蒸気機関車に乗って鄙びた風景のなかへ溶けこんでいた。トンネルの多い区間で窓を下ろすタイミングが遅れると窓から煤煙がまいこみ衣服や顔に粉塵が付着、大いに辟易した記憶がある。
しかしこの旅は豪快であった。
車庫に収まった鉄の豪傑は、古武士の趣で平成の青空を見つつ時の流れを懐古しているようだ。
画像:蒸気機関車D51の雄姿
蒸気機関車3重連が橋梁のうえを猛烈な蒸気を吐いて驀進している写真が、長い間部屋の壁にかけていたがいつのまにかなくなっていた。自分の部屋だから誰のせいでもない、たいして固執していなかったから模様替えの犠牲になったのだろう。今にして残念の想いがする。昭和27年代前後に大阪の学生のころ、帰郷するさいの列車は山陽本線そして姫新線を利用するので、そのころは蒸気機関車に乗って鄙びた風景のなかへ溶けこんでいた。トンネルの多い区間で窓を下ろすタイミングが遅れると窓から煤煙がまいこみ衣服や顔に粉塵が付着、大いに辟易した記憶がある。
しかしこの旅は豪快であった。
車庫に収まった鉄の豪傑は、古武士の趣で平成の青空を見つつ時の流れを懐古しているようだ。
画像:蒸気機関車D51の雄姿
ローカル線のきらめき7-みまさかノスタルジー2
2016年7月30日 エッセイ
旧津山扇形機関車庫へ2
動輪の据えられた車庫入口で入場料を払い(以前は無料)左手の半円形にちかい車庫建屋の方向へいくと、区分けされたブースにオレンジ色の機関車がひこまれてそれぞれの顔の表情をみせている。ブースの前には引きこみの線路がすべて敷設され手前中央の回転台と必要ごと連結するようになっていて、その形状があたかも扇の形を具現、依って「扇形機関車庫」の名称由縁になっているのだそうだ。
現役のものも引退したものも混在しているようだが、 柱に表示された種類形式等を残念ながら読み解いて歩く根気はなかった。家族ずれ、ペアー同士、マニアはさかんにカメラをむけて記録にいそがしいようだ。
この日、よく理解していいなかったがなにかの命名呼称を募集して当選された表彰式とガチンコしていたらしく、模擬進行の途中を遮って会場のなかを礼服で大汗をかいている紳士淑女の眼前を無粋にあるきまわったのは如何ともしがたい。
ぴかぴかに磨かれたD51の蒸気機関車の前では、しばし足を停めた。武骨で逞しく躍動的な風貌は、いまにも蒸気を吐いて車庫をとびだすようだった。
画像上:入口正面の飾られた機関車動輪
中:動輪と機関車庫
下:記念撮影?
【探訪覚記: 1 歴史探訪 和歌山根来寺 7月14日
2 百閒川 第一、第二荒手 7月30日
後日掲載】
動輪の据えられた車庫入口で入場料を払い(以前は無料)左手の半円形にちかい車庫建屋の方向へいくと、区分けされたブースにオレンジ色の機関車がひこまれてそれぞれの顔の表情をみせている。ブースの前には引きこみの線路がすべて敷設され手前中央の回転台と必要ごと連結するようになっていて、その形状があたかも扇の形を具現、依って「扇形機関車庫」の名称由縁になっているのだそうだ。
現役のものも引退したものも混在しているようだが、 柱に表示された種類形式等を残念ながら読み解いて歩く根気はなかった。家族ずれ、ペアー同士、マニアはさかんにカメラをむけて記録にいそがしいようだ。
この日、よく理解していいなかったがなにかの命名呼称を募集して当選された表彰式とガチンコしていたらしく、模擬進行の途中を遮って会場のなかを礼服で大汗をかいている紳士淑女の眼前を無粋にあるきまわったのは如何ともしがたい。
ぴかぴかに磨かれたD51の蒸気機関車の前では、しばし足を停めた。武骨で逞しく躍動的な風貌は、いまにも蒸気を吐いて車庫をとびだすようだった。
画像上:入口正面の飾られた機関車動輪
中:動輪と機関車庫
下:記念撮影?
【探訪覚記: 1 歴史探訪 和歌山根来寺 7月14日
2 百閒川 第一、第二荒手 7月30日
後日掲載】
ローカル線のきらめき6-みまさかノスタルジー1
2016年7月29日 エッセイ
旧津山扇形機関車庫へ1
改札口ー待合室の天井に丹頂鶴の画格子が貼られていた。
詳細は分からないが、美作津山の文化に関るものが描かれているのだろうか。
機関車庫へいくのには、かって駅舎南の歩道をとり線路をよこぎれば展示館(新名称・まなびの鉄道館)を経て苦労せずにたどりつけた記憶があるのだが、今はとんでもはっぷん、
工事のためとはいいながら一旦国道へでて裏道の軒下を炎天徒歩20分は苦行そのものだ。
画像上:駅舎は旧来のまま、以前の駅前広場は駐車場だった
中:北側は整備されて近代化
下:待合室の天井 画格子
改札口ー待合室の天井に丹頂鶴の画格子が貼られていた。
詳細は分からないが、美作津山の文化に関るものが描かれているのだろうか。
機関車庫へいくのには、かって駅舎南の歩道をとり線路をよこぎれば展示館(新名称・まなびの鉄道館)を経て苦労せずにたどりつけた記憶があるのだが、今はとんでもはっぷん、
工事のためとはいいながら一旦国道へでて裏道の軒下を炎天徒歩20分は苦行そのものだ。
画像上:駅舎は旧来のまま、以前の駅前広場は駐車場だった
中:北側は整備されて近代化
下:待合室の天井 画格子
ローカル線のきらめき5-みまさかノスタルジー号5
2016年7月25日 エッセイ
沿線の快速列車駅のアナウンスはもとより各駅停車の駅名を通過する駅頭にみると、山野草探訪撮に名所探訪にあるいは山陰海釣りにのめりこんで遊奔していた往時の想い出が間欠にうかびあがってくる。
ー金川は、賀茂円城、吉備高原、津山、奥津恩原への域圏へ
ー建部は旭川流域から久世、阿波、津黒、湯原、蒜山への域圏へ
-誕生寺は浄土宗開祖法然上人ゆかりの寺、おおはが西の棚田域圏へ
-亀甲は国道181号線経由の県北、鳥取域圏へ
-津山口は鏡野から奥津、上斎原、恩原域圏へ
それぞれの風土環境で微妙に異なる面影を演出してくれている、各地点への拠点駅でもある。
窓外に流れる水田景観は植えられたばかりの早苗で、風のなすがままに揺れ騒いでいる。田植機の駆るところもあり、姉さん被りの人たちが機械のはいれない箇所に這いつくばって手植えしている光景も陽の光に映えかがやいていた。老母の影をかさねながら懐かしい想いをあじわうのである。
終着津山駅にすべりこむ姿勢で速度を変換したとき、突然制服の集団が小旗を一斉にふって出迎えてくれた。青年たちは歓声を挙げて応えカメラのシャッターをきりまくった。
団塊の世代は、昭和初期のひとこまを映像や書物でおぼろげにすりこませているので妙な気分になった。
ホームでは降車した人たちが記念号の顔を撮影にいそしんだ。特別に粧った顔ではないにしろ、イベントプレートを鼻に飾った列車はこれしかない、いつか展示品にならぶかもしれないと思えば単なるプレートではないので撮影しておきたい衝動に駆られるのだろう。
ノスタルジーの沁みついた地下道をぬけ、名誉車掌長さんの見送りを受けて陽光のひろがる駅前へ出た。懐かしい美作津山の街だ。
駅前はいささか変貌していた、というより進化しつつあった。駐車場や銅像のあった位置から裾ながく工事の遮蔽板に覆われて甚だ殺風景な様子だったが、かいま見える工事模様はローカル拠点にかなった装いにみえた。
画像上:運行振動の列車内、パネルを掲げての撮影
下:記念切符
ー金川は、賀茂円城、吉備高原、津山、奥津恩原への域圏へ
ー建部は旭川流域から久世、阿波、津黒、湯原、蒜山への域圏へ
-誕生寺は浄土宗開祖法然上人ゆかりの寺、おおはが西の棚田域圏へ
-亀甲は国道181号線経由の県北、鳥取域圏へ
-津山口は鏡野から奥津、上斎原、恩原域圏へ
それぞれの風土環境で微妙に異なる面影を演出してくれている、各地点への拠点駅でもある。
窓外に流れる水田景観は植えられたばかりの早苗で、風のなすがままに揺れ騒いでいる。田植機の駆るところもあり、姉さん被りの人たちが機械のはいれない箇所に這いつくばって手植えしている光景も陽の光に映えかがやいていた。老母の影をかさねながら懐かしい想いをあじわうのである。
終着津山駅にすべりこむ姿勢で速度を変換したとき、突然制服の集団が小旗を一斉にふって出迎えてくれた。青年たちは歓声を挙げて応えカメラのシャッターをきりまくった。
団塊の世代は、昭和初期のひとこまを映像や書物でおぼろげにすりこませているので妙な気分になった。
ホームでは降車した人たちが記念号の顔を撮影にいそしんだ。特別に粧った顔ではないにしろ、イベントプレートを鼻に飾った列車はこれしかない、いつか展示品にならぶかもしれないと思えば単なるプレートではないので撮影しておきたい衝動に駆られるのだろう。
ノスタルジーの沁みついた地下道をぬけ、名誉車掌長さんの見送りを受けて陽光のひろがる駅前へ出た。懐かしい美作津山の街だ。
駅前はいささか変貌していた、というより進化しつつあった。駐車場や銅像のあった位置から裾ながく工事の遮蔽板に覆われて甚だ殺風景な様子だったが、かいま見える工事模様はローカル拠点にかなった装いにみえた。
画像上:運行振動の列車内、パネルを掲げての撮影
下:記念切符
ローカル線のきらめき4-みまさかノスタルジー号4
2016年7月18日 エッセイ
快速の停車駅は、岡山発ー法界院ー金川ー福渡ー弓削ー亀甲ー津山着となっていて、JR直営駅は岡山&津山のみ、法界院&金川は業務委託駅、他の中間駅は簡易委託駅もしくは無人駅で運営されている。すべてJR直営とおもっていたけれども合理化の為せる波を針で皮膚を刺すように変革していた。
津山線は岡山の三大河川の二流に抱きかかえられて北上している。岡山駅から福渡駅までは旭川に沿い、終点津山駅近くで蛇のようにうねって現れる吉井川におどろかせられる、
玉柏駅と金川駅間は金山連峰の裾を進み、右側には護岸の草木に見えかくれする旭川中流があって、狭間に水田、畑、県道、集落の家屋が塊の単位で軒をつらね、昔昔のよき日本を集約した原点がみられる。田植えをわたる青風が八重となってなみうち陽射しにきらめいていた。
津山線は岡山の三大河川の二流に抱きかかえられて北上している。岡山駅から福渡駅までは旭川に沿い、終点津山駅近くで蛇のようにうねって現れる吉井川におどろかせられる、
玉柏駅と金川駅間は金山連峰の裾を進み、右側には護岸の草木に見えかくれする旭川中流があって、狭間に水田、畑、県道、集落の家屋が塊の単位で軒をつらね、昔昔のよき日本を集約した原点がみられる。田植えをわたる青風が八重となってなみうち陽射しにきらめいていた。
ローカル線のきらめき3-みまさかノスタルジー号3
2016年7月16日 エッセイ
ホームには自動販売機が設置され、その一つは瓶に王冠の栓があるジユース専用で、もの珍しいので買い求める人が結構絶えない、投入する硬貨の音と瓶が落ちる音が妙にハーモニーしていた。
記念号に名誉車掌長2人が乗車されていた。夏用の制服でばしっと決めた恰幅のあるスタイルはなかなかなもの、うちお一人は西日本鉄道OB会で知人のIさんだったので記念撮影をお願いする。
これだけで旅情気分へ翔んでいくのである。
画像:上 懐かし王冠瓶ジュースと販売機
画像:中下 名誉車掌長と記念撮影
記念号に名誉車掌長2人が乗車されていた。夏用の制服でばしっと決めた恰幅のあるスタイルはなかなかなもの、うちお一人は西日本鉄道OB会で知人のIさんだったので記念撮影をお願いする。
これだけで旅情気分へ翔んでいくのである。
画像:上 懐かし王冠瓶ジュースと販売機
画像:中下 名誉車掌長と記念撮影
ローカル線のきらめき2-みまさかノスタルジー号2
2016年7月13日 エッセイ
マイナビからの印刷資料を持って構内の立ち飲みコーヒ店に入る。さしずめ水筒の日本茶で喉を潤す場面だが今やコーヒーにとってかわり、なくてはならない嗜好飲料になって、時間待ちの乗客が肩をよせあっていた。マイルドで薫香漂う飲みくちのいいコーヒだった。
至福のひととき、カップを口にあてながらパンフの活字を拾い読みした。
曰く、
「ノスタルジーはレトロな車両で郷愁を誘う里山の風景などを楽しんでもらおうとのコンセプトで企画」
「キハ47形2両編成を改造し、車内に瓶ジュース用の栓抜きや青色のモケット(シート生地)など懐かしいインテリアを復刻」
「外観も昭和30~40年代に気道車の一般車両で使われた懐かしいカラーリングを復刻」
「津山線の快速[ことぶき]のうち54本を[みまさかソスタルジーの列車名に変更し運転]」
「運行される際、近代産業遺産の指定を受けた旧津山扇形機関車庫ををモチーフとしたヘッドマークを装着」
というのが、このイベント列車のウリである。
この活字の羅列は、どうやら列車マニアにはこたえられない台詞らしい。
2番線のホームにはそれらしき装いのマニアがそれぞれのカメラを手にした乗客の小集団が足元に書いた「ノスタルジー乗車位置」にながれていた。
※画像:上 列車のヘッドマーク
画像:下 列車のカラーリング
至福のひととき、カップを口にあてながらパンフの活字を拾い読みした。
曰く、
「ノスタルジーはレトロな車両で郷愁を誘う里山の風景などを楽しんでもらおうとのコンセプトで企画」
「キハ47形2両編成を改造し、車内に瓶ジュース用の栓抜きや青色のモケット(シート生地)など懐かしいインテリアを復刻」
「外観も昭和30~40年代に気道車の一般車両で使われた懐かしいカラーリングを復刻」
「津山線の快速[ことぶき]のうち54本を[みまさかソスタルジーの列車名に変更し運転]」
「運行される際、近代産業遺産の指定を受けた旧津山扇形機関車庫ををモチーフとしたヘッドマークを装着」
というのが、このイベント列車のウリである。
この活字の羅列は、どうやら列車マニアにはこたえられない台詞らしい。
2番線のホームにはそれらしき装いのマニアがそれぞれのカメラを手にした乗客の小集団が足元に書いた「ノスタルジー乗車位置」にながれていた。
※画像:上 列車のヘッドマーク
画像:下 列車のカラーリング
ローカル線のきらめき1ーみまさかノスタルジー号1
2016年7月12日 エッセイ
駅と駅を結ぶのは「点と線」である。鉄道地図をひろげて、それぞれ拠点の有名駅を追っていれば、それだけで蜘蛛の糸のように縦横無尽のつながりが描かれる。一枚のクロス画の中の世界にほうりこまれ迷いこみ驚愕とおどろき、精緻のきわみのダイヤ、不惑のアメーバのような有機質の生物に思えてそのベトベト感に、今更のごとく機械的な感動をおぼえるのだ。
ビジネスに新幹線は必要欠かせざるものだが、時間に制約されないときは従来線のローカル軌道をとことこ運んでくれる方が楽しい。線路のつなぎを背で耳で足でキャッチしながら缶ビールと弁当でもほうばれるのであれば幸せである。後ろへ飛んでいく景色、青田の風、緑陰の稜線はなんとも新鮮な彩である。それが味わえるのは、せいぜい快速電車までだろう。
JR西日本の津山線で「みまさかノスタルジー」と銘打った観光列車イベントが、さる6月の土日曜日におこなわれ、最終日の26日に指定座席券を購い娘を誘って乗車した。ひさしぶりの列車の小旅行である。
ビジネスに新幹線は必要欠かせざるものだが、時間に制約されないときは従来線のローカル軌道をとことこ運んでくれる方が楽しい。線路のつなぎを背で耳で足でキャッチしながら缶ビールと弁当でもほうばれるのであれば幸せである。後ろへ飛んでいく景色、青田の風、緑陰の稜線はなんとも新鮮な彩である。それが味わえるのは、せいぜい快速電車までだろう。
JR西日本の津山線で「みまさかノスタルジー」と銘打った観光列車イベントが、さる6月の土日曜日におこなわれ、最終日の26日に指定座席券を購い娘を誘って乗車した。ひさしぶりの列車の小旅行である。
プランターのいろどり5-紫陽花5
2016年6月28日 エッセイ
先日のことだがJR津山線のイベント電車に揺られて津山駅にいってきた。昔懐かしい電車旅人の気分だった。
幹線軌路の快適さをざっくりそぎ落とした硬い背持たれの座席に、ローカル線のゴトンゴトン動輪の音が脊髄に伝わるのを楽しみ愕かせられつ、缶コーヒーの飲み口がおもうように口に添わせられずに、唇の端に滴を垂らしながら揺れにまかせ、青田や田植機の作業をとばしながら終着駅についた。「ノスタロジー美作」という特別号をそれなりに満喫した。
下車して三つの目的をかなえるべく、工事中の駅前を大迂回して機関車回転場を見学し、次にホルモンウドンを求めたものの、これが辛いのなんの、咽喉の余韻をジョッキーの飲物で一気に胃へ洗い流した。
三つ目はアジサイ寺の長法寺であったが、津山口駅の裏手の里山までの徒歩になるので、梅雨の合間の陽光にたじろぎ、いざぎよく断念した。
寺院にアジサイが多く植栽されて観光の対象になっているのは何故かよく承知していないが、いずこも丁寧な手入れで見事な花玉を境内や参道に咲かせている。(後日紀行掲載)
私の訪問はごく些少であるが近辺の名所を羅列してみよう。
美作市ー大聖寺
備前市ー西法院(改修中で今は皆無)
津山市ー長法寺
岡山市ー吉備津神社
岡山市ーたけべの森
幹線軌路の快適さをざっくりそぎ落とした硬い背持たれの座席に、ローカル線のゴトンゴトン動輪の音が脊髄に伝わるのを楽しみ愕かせられつ、缶コーヒーの飲み口がおもうように口に添わせられずに、唇の端に滴を垂らしながら揺れにまかせ、青田や田植機の作業をとばしながら終着駅についた。「ノスタロジー美作」という特別号をそれなりに満喫した。
下車して三つの目的をかなえるべく、工事中の駅前を大迂回して機関車回転場を見学し、次にホルモンウドンを求めたものの、これが辛いのなんの、咽喉の余韻をジョッキーの飲物で一気に胃へ洗い流した。
三つ目はアジサイ寺の長法寺であったが、津山口駅の裏手の里山までの徒歩になるので、梅雨の合間の陽光にたじろぎ、いざぎよく断念した。
寺院にアジサイが多く植栽されて観光の対象になっているのは何故かよく承知していないが、いずこも丁寧な手入れで見事な花玉を境内や参道に咲かせている。(後日紀行掲載)
私の訪問はごく些少であるが近辺の名所を羅列してみよう。
美作市ー大聖寺
備前市ー西法院(改修中で今は皆無)
津山市ー長法寺
岡山市ー吉備津神社
岡山市ーたけべの森
プランターのいろどり5-紫陽花5
2016年6月28日 エッセイ
先日のことだがJR津山線のイベント電車に揺られて津山駅にいってきた。メーン軌線の快適さをざっくりそぎ落とした硬い背持たれに、ゴトンゴトン動輪の音が脊髄をおどろかせられ、缶コーヒーの飲み口がおもうように口に添わせられず、唇の端に滴を垂らしながら揺れにまかせ終着駅についた。「ノスタロジー美作」という特別号をそれなりに満喫した。
下車して三つの目的をかなえるべく、工事中の駅前を大迂回して機関車回転場を見学し、次にホルモンウドンを求めたものの、これが辛いのなんの、咽喉の余韻をジョッキーの飲物で一気に胃へ洗い流した。
三つ目はアジサイ寺の長法寺であったが、津山口駅の裏手の里山までの徒歩になるので、梅雨の合間の陽光にたじろぎ、いざぎよく断念した。
下車して三つの目的をかなえるべく、工事中の駅前を大迂回して機関車回転場を見学し、次にホルモンウドンを求めたものの、これが辛いのなんの、咽喉の余韻をジョッキーの飲物で一気に胃へ洗い流した。
三つ目はアジサイ寺の長法寺であったが、津山口駅の裏手の里山までの徒歩になるので、梅雨の合間の陽光にたじろぎ、いざぎよく断念した。
プランターのいろどり4-紫陽花4
2016年6月24日 エッセイ
酸性土壌で青色の花が咲き、アルカリ土壌は赤色というのが定説だが同じ土壌の隣に寄せ植えして青赤に分かれるのは一体どうしてだろう。どうやら、これは出荷元によってそれぞれの色になるように調整されているようだ。いずれ同一色に変化してくる。
酸性土壌のアルミニウムを吸収すれば色素と結合して青色になり、逆にアルカリ土壌はアルミニウムを吸収しないので赤色になる。
ちなみに白花を店頭でかってきて植えたら、変化はなかった。
酸性土壌のアルミニウムを吸収すれば色素と結合して青色になり、逆にアルカリ土壌はアルミニウムを吸収しないので赤色になる。
ちなみに白花を店頭でかってきて植えたら、変化はなかった。
プランターのいろどり3-紫陽花3
2016年6月23日 エッセイ
七変化 移り気 不節操
上記は紫陽花の別名だそうだ。
昨今好事家のあいだで新種の色合が世にだされて、豊かな色彩をもつ植物になりつつあるが、最初に咲く色から次第に褪せた色合に変化していくので、その現象をとらえて別名をつけたのであろう。
七変化は物語があって厚みのあるうんちくな名前だが、移り気、不節操までいくと紫陽花にとっては有難迷惑ではないか。
上記は紫陽花の別名だそうだ。
昨今好事家のあいだで新種の色合が世にだされて、豊かな色彩をもつ植物になりつつあるが、最初に咲く色から次第に褪せた色合に変化していくので、その現象をとらえて別名をつけたのであろう。
七変化は物語があって厚みのあるうんちくな名前だが、移り気、不節操までいくと紫陽花にとっては有難迷惑ではないか。
プランターのいろどり2-紫陽花2
2016年6月20日 エッセイ
紫陽花で一括りすれば、一般的にはそれで済むが、○○紫陽花と分別するとなればまことに複雑で多岐になる。山野草の撮影で野山を歩いていたのが幸いして、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、コアジサイ、ツルアジサイの名と野生自生地はだいたい判るようになった、園芸用では寺院、公園で大規模に観賞できて華やか、山野のはいびつに育ち虫食いにあったりして野趣にとみ、県北の杉木立に埋められた山合い谷合いに環境条件が適合してよく繁生している。おおまかに線引きしてみると、県北の山襞に多くみられた想いがある。
ところで、一転してプランターや鉢植えでも多くみられるような時代になった。国政の諸政策は核家族を産み拡散したために田園の耕作を諦めたがゆえ、そこへ雨後の筍のように新築、はては中流層のマンションの増殖ブームで資産家の日本庭園を観賞する造詣など、掃いて集める塵芥に化した。
せいぜい鉢植えかプランター栽培用にせこせこした一時代の快楽なのである。
ところで、一転してプランターや鉢植えでも多くみられるような時代になった。国政の諸政策は核家族を産み拡散したために田園の耕作を諦めたがゆえ、そこへ雨後の筍のように新築、はては中流層のマンションの増殖ブームで資産家の日本庭園を観賞する造詣など、掃いて集める塵芥に化した。
せいぜい鉢植えかプランター栽培用にせこせこした一時代の快楽なのである。