よろず歳時記ー百閒川のいろどり20・裏変化
よろず歳時記ー百閒川のいろどり20・裏変化
 川原に咲く野花がなくなった。
 水面も河川敷も、植物は根茎や球根に生命をとじこめ地上には最小の息吹を残して冬眠にはいっている。
 首にマフラーをぐるぐる巻きにして、北風に押され顔を顰めながら歩いていると、水面に根をおろしている大きな木が白花を無尽に咲かしているのを目にした。
 うん?・・・、名も知らぬ木でいつも見ている筈だがと思い、スポーツコートの縁にあるフェンスに近づき観察した。
 風止みの一瞬をみて、白花のからくりが分かった。緑の精気をなくした葉が北風にあおられて裏返り白花のごとく変化していたのだ。
よろず歳時記ー旭川のいろどり13・日暮れ前③
 冬至が過ぎたから、日暮れの明るさは長くなったかなと思うのは、気持のもんだい。
 百閒川の場合、15時半にさい川原橋を徒歩出発して沢田橋までを折り返すると帰途は薄暗い、家についたらとっぷり闇のなかである。

 旭川は、中島中原橋を歩き始めて後楽園蓬莱橋を折り返せば同じような日暮れになる。
 右岸堤防越しに煙突からもくもく白煙を上げている工場があり、併せて蒸気が建屋の裾を噴きつつんでいるときもある。 

よろず歳時記ー百閒川のいろどり19・誰もいない園地
  冷やっこい北風が襟もとなでて通りすぎていく。うっ寒い、・・首をちじめると自然に顔がしかみ、河川敷のランニングコースは風の通り道になっているので、さすが犬をつれて散歩している姿は疎らだしちびっこの嬌声も聞こえない。
 茜いろの光りが左岸のビルを刺してある種の美しいスクリーンになっていた。
 逆に陰影の濃い園地はひっそり孤独だった。
 ブランコ、シ―ソの上を北風が揺らしもせずに吹きぬけていた。
よろず歳時記ー旭川のいろどり12・日暮れ前②
 水鏡

 河畔のランニングコースを歩くときに中州に繁る木々の落葉した、黒々とした幹は異様な存在感をかもしだす。淡い空のあかりがそのまま水面に投影すると、絵画の空間になる。

 
よろず歳時記ー旭川のいろどり11・日暮れ前①
 日没前の光景はひときわ陰影が濃くなる。
 地上にあるものほど闇のいろあいを増し水と空が明るさを残す。
 黒々とした裸木は落葉した梢でなにかを語っているようだ。

 雲は低く重くたれこみ、山陰の空のよう。
 その西空の一画を鈍い刃で切り込んだごとく、上空の蒼いそらを楔形にひらき、茜雲をのぞかせた。
 一瞬、水面とS病院が光のなかにかがやいた。
よろづ歳時記ー旭川のいろどり10
 橋脚の落書き是か非か。・・・
 もちろん非。

 
とんび歳時記ー師走のプランター3
ムラサキカタバミ

 初めて見たのが数年前、半田山植物園の池の畔りで、あざやかなピンク色の草花にしては大きく見栄えのする花冠を一株にたくさんつけていた。次の年に写真を撮りにいくとあとかたもなく消えていて、山腹の斜度にある水仙の群れにあがるとここにあった。移植されていたのである。
 今こそ、家庭の花壇や玄関わきの置き鉢に植えられて観賞花にされているのを多く見受けるようになった。山野にある自然のカタバミというのは白花が定番で花冠も葉も小さいイメージだったので、いささか意外性にたじろいだものだった。
 葉はハ-ト形の3片で特徴があり夜は花を閉じる。
 繁生がつよく年を経るにつれ近隣の鉢に種子が飛散して子孫を増やすようだ。手入れしなくても大丈夫、ものぐさなわたしでにも目をたのしましてくれている。
 花の少ない、冬の華だ。
 画像はイチゴの中に平然と咲くムラサキカバミ。 

とんび歳時記ー師走のプランター2
 ナデシコ・撫子

 ナデシコ科の種類は多岐にわたっている。
 山野で馴染み深いのが川原撫子、山歩きしていると群生はいざしらず孤高の風情で咲いているので、その可憐さ優美さに疲れがいささか癒される。名前の通り川原にあったものがいつのまにか丘陵にまで及んでいる様相である。
 画像のナデシコは市販されているもなのでバイオ改良のなせるわざだと思う。
 この先降霜が続いたら萎れるだろう。

 
とんび歳時記ー師走のプランター1
 今年の師走は温度計の落差が大きい。朝まだきと日没事は上着の重ねが欲しいと思えば日中は一枚脱ぐほどの温かさをおぼえる。関東ではワイシャツ姿で街頭を歩くし、梅園の梅は開花をもたらし白菜農家は嘆くばかり。おもてがあればうらもあるのは分かるが、それに連れてもリズムの異変は生活の狂いをもたらす。
 プランターに植えているイチゴが、ハウスやトンネル栽培でもなく露天なのに花を咲かせ実をつけて紅く熟れようとしている。傍らのブルーベリーに3粒ほどが熟れこれは摘みとって口にいれた。早熟は温暖のなせるわざか。
 もっともこの17日には本来の冬将軍が攻めてくるらしい。さてどんな現象をよぶだろうか。
 
とんび歳時記ー岡山県立博物館
 屋内からガラス窓を透かして外景をみるといつもの風景とはちがって映る。
 窓枠のもっている魔力とでもいうべきか、魅惑的な雰囲気を演出する。

 この日は古代土器の展示開催をしていた。興味ある分野でもあって、腰がおもたくなるまで観てまわった。
 
とんび歳時記ーさくらにも種々あり
とんび歳時記ーさくらにも種々あり
 淡いピンクを透かして日を浴び、寒気に撫でられて斑に咲き、なんともたよりなげな風情をみせる四季桜、五弁で単重の花は関心がなくては存在しない。
 海をのぞみ、ひっそり咲き、寒さに愛でる人はすくなくて足早に通りすぎていくのみだ。

 真庭の普門寺には門前に数株あって周囲の紅葉とのコラボレーションはちょっとした見ものになっている。離れていると紅葉にとけこまれて存在感はないが、茶屋の新蕎麦をあじわいながら全景にひたると浮世を忘れる。
瀬戸内のいろどり1ー一本松公園4・海への回流1
 霞んで浮かぶ小豆島をながめて、船外機の小舟を南の浜で錨をおろし鰈をたくさん釣ったことがある。
 ポンポンと音をたてる焼玉エンジンの舟はいまやみあたらない。小舟はみずすましのように潮を掻いてポイントを移動していき、投てきした竿先がしなり糸ふけになると手のひらサイズの鰈が踊った。祝杯のビールを飲み釣り人は踊ったものだった。

 招かれてヨットに乗り、瀬戸本流の流れにのみこまれ、逃れようとしたらエンジンがエンスト、おりから無風状態、懐中電池の光輪のなかで機関修理しても無為復帰の音がしない、墨つぼを流したような暗闇のなかで川のような流れのなすがまま、マストの帆を下ろしランプの灯をかわりに括り他船との衝突回避、救難を合図したが闇を裂いて現れるものはまるで皆無、。暗澹たる思いがよぎり、漂流の気分に陥った。流れ流されて、下津井あたりでようやく漁船に出合い、港まで曳航してもらい命拾いしたものだった。

 夜釣りで無人島の磯にあがって、夜半巻き上げた針に派手なメバルが跳ねていたので手づかみしたら、痛烈な刺し痛みが走った。メバルならぬ背鰭に毒針をもつカサゴだった。無人の岩礁の上で釣りどころかひたすら痛みに耐えて蹲り夜明けを待つ身になった。


 小豆島の遠景をみながら、脈絡のないおもいが涌いてきたものである。

瀬戸内のいろどり2一本松公園2・紅い撓り
瀬戸内のいろどり2一本松公園2・紅い撓り
 潮風がなでていくこの丘には、ビラカンサが2本あった。陽がかたむくけば建物の日陰になる一本と、周囲になにもない草地にさんざんと光りを浴びつづける一本と。
 初冬には紅く熟れた実を枝先までたわわにつけて、その豊かさに枝が折れんばかりに撓るのである。啄ばむ頃合いを知っている野鳥の群れが飛び交って賑やかな楽園の様相を呈しているのは日陰の方で、草地の一本には一羽もよりつかない。
 どういう理由でかわからないが、楽園の木だけは伐採されてしまっていた。
 さぞかし、主のメジロたちは困っているだろう。
 だからといって草地の木には飛び移ってもいない。
 無碍にされていた草地の木は寂しくも、陽光をますます浴びて盛んになりわが世を謳歌しているようにみえ、紅く輝いて海にむかっていた。
 自然の摂理を考えれば複雑なものだ。
 





瀬戸内のいろどり3一本松公園3・瀬戸を讃う
瀬戸内のいろどり3一本松公園3・瀬戸を讃う
 瀬戸内海の多島美は温暖な気候につつまれて古代・中世・近世にまたがり、和歌に俳句、詩あるいは小説の名歌名分に謳われているのは事実、かたや歴史上の変遷をたどれば著しく華やかに隆盛そして散華をのこしている。
 あらあらしい外海の風土は牙を剥くが、内海は円いロマンが満ちている。
瀬戸内のいろどり4一本松公園4・冬の遊園地
 一本松遊園地。

 冬に入ったせいかしら、ちびっこの姿がみえない。
 灰色になじんだ空にかすんだ海。
 寂しさも侘しさもただよう。
 道の駅で買い物をすませてのぞくと、嬌声をあげているちびっこの声が聞こえ、ミニ蒸気機関車の気笛が孤りひびき蒸気の煙が木立の合間にのぼった。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり18・水辺の吹奏
  開放の空間ではトランペットが似合う。
 酒飲み場ではサックスがいい。
 青春も草葉ではハーモニカが心をゆさぶる。 
 (連結)
とんび歳時記ー百閒川のいろどり17・操山に初冠雪
 昨夜来朝日がのぼっても、寒いというより冷えこみがきつかった。
 北西風は襟元を吹きぬけ手足がかじかんだ。この冬一番だろう。
 操山連峰は安曇野から眺める北アルプスのように澄んだ空に高峰をつらねて頂に白銀をかぶっていた?・・・というのは実は虚構、白雲が稜線を覆ってあたかも冠雪の様子をかもしだしていたのである。
(連結)

とんび歳時記ー百閒川のいろどり16・夢の空間
 合成写真。
 旭川の東区域は西区域に対比して開発整備がおくれているというのは事実。
 このような画像の市街地になれば活性化するでしょう。
 註:画像をクリックして拡大すれば合成画像が表示。

とんび歳時記ー百閒川のいろどり15・薄暮の散策
 西日になってあかね空になると、たちまち薄暗くなり河川敷から堤防の遊歩道をたどるうちに足元が見えにくくなるほどだ。
 学生や勤人の帰宅を急ぐ自転車と行き交う。ほどなくパラパラと散策の影が現れては闇に消えていく。
 愛犬はあっちこっちと路肩の草むらに匂いを嗅いで歩くので、当方の歩みはまことに遅い。引っ張るのはかわいそうなので犬に合していたら、まったくもって墨つぼに溶けてしまうのである。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり14・黒の軍団
 ハシブト、ハシホソもいりまじった烏の一個小隊が落ちている稲穂を一心に穿っている。薄暮のなかで黒装束のかたまりは異様な雰囲気を醸しだす。通過する車などに驚く手合いではない。さすが、犬に吠えられて追いまわされるとパニックになって四方八方に飛び立つ。だがそのうちの一、二羽が急旋回で急降下し犬に襲いかかるか想定外の闘争心に遭って、たまらず犬は尻尾をまいて逃走した。
 軍団は平然と穿りの行動に舞い戻った。

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