古寺素描39ー豊山長谷寺①ー奈良
2017年7月24日 エッセイ
仁王門をくぐる前に、少し離れた処から初瀬街道をいだいた初瀬山の新録に埋もれた長谷寺を眺めると、中腹に散在している伽藍などの甍が雲間に照る陽光を浴びていて、その広大な境内を一望に観ることができる。
真言宗豊山派の総本山。十一面観音が本尊で日本有数の観音信仰の霊場であり、全国に長谷寺の名を持つ寺院が多くある。創建は奈良時代といわれているが諸説ふんぷんあって定説がない。いずれにしても寺伝に依るところが通説である。
朱鳥元年、天武天皇の病気平癒で僧道明が「銅板法華説相図」を西の岡に安置したことに始まり(本長谷寺)、下って神亀4年僧徳道が東の岡に伽藍を造営、十一面観音を祀った(後長谷寺)。その後、両寺がひとつになって現在の呼称に至る。平安時代に観音信仰の霊場に定まった。創建時は東大寺の茉寺だったが正暦元年に興福寺の茉寺になったことによって宇多天皇、藤原道長や息子頼道など時の権力の参詣がつづき平安貴族の長谷寺詣でになった。ことによって平安貴族との結びつきが濃くなった。ながれて室町時代は西国三十三所巡礼がはやり庶民の参詣が興隆、戦国時代は衰微し、桃山時代は豊臣秀長が再興し真義真言宗に改まった。さらに、江戸時代は長谷寺出身の僧隆光が護持院大僧正になったときに将軍徳川綱吉と生母桂昌院に「生類憐みの令」を薦めるなどして幕府の庇護をうけるようになる。さして、真言宗豊山派総本山になった。
かかる如く朝廷・武家のむすびつきで変遷の多い寺院である。権威=権力=宗教、の柵はここにもみてとれる。
平安貴族の著書、「枕草子」「源氏物語」「更科日記」の古典文学に登場している。
画像上:長谷寺全景
画像下:源氏物語に出てくる二本杉
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真言宗豊山派の総本山。十一面観音が本尊で日本有数の観音信仰の霊場であり、全国に長谷寺の名を持つ寺院が多くある。創建は奈良時代といわれているが諸説ふんぷんあって定説がない。いずれにしても寺伝に依るところが通説である。
朱鳥元年、天武天皇の病気平癒で僧道明が「銅板法華説相図」を西の岡に安置したことに始まり(本長谷寺)、下って神亀4年僧徳道が東の岡に伽藍を造営、十一面観音を祀った(後長谷寺)。その後、両寺がひとつになって現在の呼称に至る。平安時代に観音信仰の霊場に定まった。創建時は東大寺の茉寺だったが正暦元年に興福寺の茉寺になったことによって宇多天皇、藤原道長や息子頼道など時の権力の参詣がつづき平安貴族の長谷寺詣でになった。ことによって平安貴族との結びつきが濃くなった。ながれて室町時代は西国三十三所巡礼がはやり庶民の参詣が興隆、戦国時代は衰微し、桃山時代は豊臣秀長が再興し真義真言宗に改まった。さらに、江戸時代は長谷寺出身の僧隆光が護持院大僧正になったときに将軍徳川綱吉と生母桂昌院に「生類憐みの令」を薦めるなどして幕府の庇護をうけるようになる。さして、真言宗豊山派総本山になった。
かかる如く朝廷・武家のむすびつきで変遷の多い寺院である。権威=権力=宗教、の柵はここにもみてとれる。
平安貴族の著書、「枕草子」「源氏物語」「更科日記」の古典文学に登場している。
画像上:長谷寺全景
画像下:源氏物語に出てくる二本杉
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書風ー第45回岡山独立書展②ー平成29年7月6日
2017年7月16日 エッセイ書風ー第45回独立書展①ー平成29年7月6日
2017年7月16日 エッセイ
毎年開催されている展示会にでかけて知人の書魂に触れ感銘を受けてきました。
角 羊亭氏
武村祥玉氏
のお二方、それぞれの個性が滲む筆跡でした。
画像:展示会場・天神山プラザ 展示観覧風景
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角 羊亭氏
武村祥玉氏
のお二方、それぞれの個性が滲む筆跡でした。
画像:展示会場・天神山プラザ 展示観覧風景
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サーキットー岡山国際サーキット
2017年7月1日 エッセイ
かれは爆進する、よく着火し爆発する。
スタートラインに納まったメカは一斉に吠えて、唸りをマックスに解放して轟音をさく裂させて10数台がスタート。山膚にバズカー砲が突き刺さり土煙を巻きあげ森を揺さぶりときならぬ戦陣の咆哮をあげてマシン全体身ぶるいさせ疾駆の緒を切った。つきあげる五臓六腑が口腔から噴き出るような爆発驀進であった。
2017年全日本スーパーフォーミュラ選手権 第2戦 岡山サーキット
スタートラインに納まったメカは一斉に吠えて、唸りをマックスに解放して轟音をさく裂させて10数台がスタート。山膚にバズカー砲が突き刺さり土煙を巻きあげ森を揺さぶりときならぬ戦陣の咆哮をあげてマシン全体身ぶるいさせ疾駆の緒を切った。つきあげる五臓六腑が口腔から噴き出るような爆発驀進であった。
2017年全日本スーパーフォーミュラ選手権 第2戦 岡山サーキット
古寺素描38ー女人高野・室生寺⑦完-奈良
2017年6月21日 エッセイ
山岳寺院に等しく平地の少ない斜面を利用して仏院を建てているので、各仏院をたどるには石段がつきまとう。金堂の庇越しに緑陰にかくれて五重塔が見え、そちらに気がいって金堂の背後の本堂(灌頂堂)は不遜にも石段の途中で瞥見するだけだった。本堂は、鎌倉時代の建立で、内陣須弥壇の厨子に本尊・如意輪観音菩薩を安置、堂は国宝、菩薩は平安時代のもので重文に指定されている。
細長い境内の端に重厚な五重塔がある。
ちかずいて仰ぎ見ると、今まで拝観しているどこそこの塔にくらべて違和感を覚えるのは何故か。いずこの五重塔も建築技術の粋と美の構造物で圧倒的な迫力がのしかかってくるのだが、この塔は他にない重量感が皮膚にささり加わってくるのである。
そもそも塔の発祥はインド、仏舎利の遺骨を納めて供養し祀るもので、中国を経て朝鮮半島にわたり、日本に伝来した変遷があるのである、が、伝来前の国ではは饅頭形だったそうで、現在日本のあちこち見られる層を重ねる建築ではなかった由。いわば発祥国にも経由国にも、日本人が定型と想うあの怪鳥が翼をひろげたような重層の思想はなかったということだ。
通常、塔の高さは30m代前後である。それに比し室生寺の五十塔は16、1mで、高さの順でいえば法隆寺の塔の次に低いといわれている程度。さらにいえば五層の屋根が下から順次上にいくにつれ小さくなっていくのが重力のバランス、ところが室生寺の塔は一層から五層までほぼ同じ大きさの屋根で、巨きな力で上から押し下げた角柱の様相を呈しているのは、階層の空間が狭く上にいくほど人間の立ち入りを拒絶した工法をとることによって、こういった低層と角柱の立体工法がもたらす違和感と重圧感が参拝客に浴びせかけているからなのである。
仏教敵意味合いを披言すると、
一層・地(基礎)
二層・水(塔身)
三層・火(笠)
四層・風(風請花)
五層・空(宝珠)
となる。
頂の相輪は九輪の上にある水煙の代わりに宝瓶をのせ宝鐸を吊り天蓋がかかっている。内部に、秘仏の五智如来像が安置されているとのこと。
平成10年(1998)の台風倒木で被害をうけたが、2年後に修復され今は前述の通りの状況を大和の山に鎮座している。
しかしながら、一見に如かずの古寺である。
画像:朱塗りの柱と白壁が鮮やかな室生寺五重塔
細長い境内の端に重厚な五重塔がある。
ちかずいて仰ぎ見ると、今まで拝観しているどこそこの塔にくらべて違和感を覚えるのは何故か。いずこの五重塔も建築技術の粋と美の構造物で圧倒的な迫力がのしかかってくるのだが、この塔は他にない重量感が皮膚にささり加わってくるのである。
そもそも塔の発祥はインド、仏舎利の遺骨を納めて供養し祀るもので、中国を経て朝鮮半島にわたり、日本に伝来した変遷があるのである、が、伝来前の国ではは饅頭形だったそうで、現在日本のあちこち見られる層を重ねる建築ではなかった由。いわば発祥国にも経由国にも、日本人が定型と想うあの怪鳥が翼をひろげたような重層の思想はなかったということだ。
通常、塔の高さは30m代前後である。それに比し室生寺の五十塔は16、1mで、高さの順でいえば法隆寺の塔の次に低いといわれている程度。さらにいえば五層の屋根が下から順次上にいくにつれ小さくなっていくのが重力のバランス、ところが室生寺の塔は一層から五層までほぼ同じ大きさの屋根で、巨きな力で上から押し下げた角柱の様相を呈しているのは、階層の空間が狭く上にいくほど人間の立ち入りを拒絶した工法をとることによって、こういった低層と角柱の立体工法がもたらす違和感と重圧感が参拝客に浴びせかけているからなのである。
仏教敵意味合いを披言すると、
一層・地(基礎)
二層・水(塔身)
三層・火(笠)
四層・風(風請花)
五層・空(宝珠)
となる。
頂の相輪は九輪の上にある水煙の代わりに宝瓶をのせ宝鐸を吊り天蓋がかかっている。内部に、秘仏の五智如来像が安置されているとのこと。
平成10年(1998)の台風倒木で被害をうけたが、2年後に修復され今は前述の通りの状況を大和の山に鎮座している。
しかしながら、一見に如かずの古寺である。
画像:朱塗りの柱と白壁が鮮やかな室生寺五重塔
古寺素描37ー女人高野・室生寺⑥-奈良
2017年6月16日 エッセイ
石段あがったら正面に構えるのが金堂。
正面側面とも5間ある単層寄棟造りで、こけら葺きの建物は平安時代初期の建造で堂々たる仏殿である。栢の一本造りの御本尊・釈迦如来立像は他所に貸出中とのことで今のところ空座になっていた。平安初期の作で国宝の立像だそうだ。
普段は内陣にはいることはできないが今回は良とされたので、薄明かりの中、平安の燻美に浸ることができた。
空座の右側に薬師如来(平安時代初期・重文)、地蔵菩薩(平安時代・重文)、左側に文殊菩薩(平安時代初期・重文)、十一面観音菩薩(平安時代初期・国宝)が並び、その前に運慶の作とつたえられる十二神将(鎌倉時代・重文)の各像が一列に並べられている。それにかてて加えて空座の背後の板壁には帝釈天曼荼羅図(平安時代初期・国宝)が描かれていて異彩をはなっている。まさに宝物集合の観がする。
画像上:金堂正面
画像中:金堂組梁
画像下:緑煙る金堂左横の石段
正面側面とも5間ある単層寄棟造りで、こけら葺きの建物は平安時代初期の建造で堂々たる仏殿である。栢の一本造りの御本尊・釈迦如来立像は他所に貸出中とのことで今のところ空座になっていた。平安初期の作で国宝の立像だそうだ。
普段は内陣にはいることはできないが今回は良とされたので、薄明かりの中、平安の燻美に浸ることができた。
空座の右側に薬師如来(平安時代初期・重文)、地蔵菩薩(平安時代・重文)、左側に文殊菩薩(平安時代初期・重文)、十一面観音菩薩(平安時代初期・国宝)が並び、その前に運慶の作とつたえられる十二神将(鎌倉時代・重文)の各像が一列に並べられている。それにかてて加えて空座の背後の板壁には帝釈天曼荼羅図(平安時代初期・国宝)が描かれていて異彩をはなっている。まさに宝物集合の観がする。
画像上:金堂正面
画像中:金堂組梁
画像下:緑煙る金堂左横の石段
古寺素描36-女人高野・室生寺⑤ー奈良
2017年6月9日 エッセイ
喘ぎながら石段をのぼりきると正面に金堂があり、左手に弥勒堂があってこれは鎌倉時代の建造で重要文化財になっている。入母屋つくりで屋根はこけら葺きである。木漏れ日の緑陰のなかに鎮んでいてなおさらに厳かな史歴を醸しだしている。興福寺の伝法院を移築したものと伝えられる。
観光客は格子戸の外縁に昇殿して堂内を透かし観る。
本尊の重要文化財・弥勒菩薩立像は厨子に納まって須弥壇に安置、平安時代初頭の優品とされている。脇壇には客仏の釈迦如来坐像が安置され同時代の作でこれは国宝である。
弥勒菩薩とは如何なる存在か?・・などと不遜ながら思ってみる。
仏教の経典なぞ素読さえしていない者は概ね解説書をパラパラ捲るだけだが、それでさえ難解の羅列でよくわからない。百科事典に頼った方がはやい。
要は、弥勒菩薩は未来菩薩ということでまだこの世にあらわれていない菩薩、兜率浄土という処で弥勒は現世でも在して、修行しておられるそうだ。釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の、はるか未来の世に仏となってこの世にくだり衆生を救済するそうだから、あまりにも気が遠くなる話で信者はさぞかし 待ち焦がれておられることであろう。
画像:弥勒堂
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観光客は格子戸の外縁に昇殿して堂内を透かし観る。
本尊の重要文化財・弥勒菩薩立像は厨子に納まって須弥壇に安置、平安時代初頭の優品とされている。脇壇には客仏の釈迦如来坐像が安置され同時代の作でこれは国宝である。
弥勒菩薩とは如何なる存在か?・・などと不遜ながら思ってみる。
仏教の経典なぞ素読さえしていない者は概ね解説書をパラパラ捲るだけだが、それでさえ難解の羅列でよくわからない。百科事典に頼った方がはやい。
要は、弥勒菩薩は未来菩薩ということでまだこの世にあらわれていない菩薩、兜率浄土という処で弥勒は現世でも在して、修行しておられるそうだ。釈迦(しゃか)入滅から56億7000万年後の、はるか未来の世に仏となってこの世にくだり衆生を救済するそうだから、あまりにも気が遠くなる話で信者はさぞかし 待ち焦がれておられることであろう。
画像:弥勒堂
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古寺素描35ー女人高野・室生寺④ー奈良
2017年6月5日 エッセイ
ちょっと余談を。
若葉が出揃って木漏れ日の陰影を濃くしている境内は散策にもってこいだが、夜半の独り歩きには寂しさ倍増の雰囲気である。その傘の許に一人の虚無僧が尺八を吹奏していた。 曲目などいっさい解せないけれど、旋律は日本人の心筋をふるわせる。しかし、場所柄、なぜかそぐわない気持ちがつのった。
そもそも虚無僧が集う普化宗は禅宗の一派である。臨済宗とのつながりが濃いとされたが、それは臨済宗の僧が中国にわたり普化の奥義を修めて帰国、紀州の地に本山をもったことによる。有髪で半僧半俗、無紋の白衣を着て首には袋、背中に袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶるいでたちは、TVや映画などでよく知るところ。活動といえば尺八を吹いて全国を流浪し喜捨を得ていることだろう。別に布教している訳でもなく、自身の修練に重きが有るとおもわれる。簡易な装束に深編笠で顔が隠せて善人悪人に成りすませることができる。。都合によって化身しやすくなれるので、江戸幕府は制約をかけると同時に、諸国大名の情報えるのに利用した。偽虚無僧が横行した所以でもある。
そぐわない気持ちをいだかせたのは、法相宗、真言宗、天台宗の境内で吹奏して喜捨を得ることである。
よく調べてみたい課題をみつけた、と思っている。
画像上:若葉の繁りが広い境内を覆っている
画像下:吹奏している虚無僧
若葉が出揃って木漏れ日の陰影を濃くしている境内は散策にもってこいだが、夜半の独り歩きには寂しさ倍増の雰囲気である。その傘の許に一人の虚無僧が尺八を吹奏していた。 曲目などいっさい解せないけれど、旋律は日本人の心筋をふるわせる。しかし、場所柄、なぜかそぐわない気持ちがつのった。
そもそも虚無僧が集う普化宗は禅宗の一派である。臨済宗とのつながりが濃いとされたが、それは臨済宗の僧が中国にわたり普化の奥義を修めて帰国、紀州の地に本山をもったことによる。有髪で半僧半俗、無紋の白衣を着て首には袋、背中に袈裟を掛け、頭には「天蓋」と呼ばれる深編笠をかぶるいでたちは、TVや映画などでよく知るところ。活動といえば尺八を吹いて全国を流浪し喜捨を得ていることだろう。別に布教している訳でもなく、自身の修練に重きが有るとおもわれる。簡易な装束に深編笠で顔が隠せて善人悪人に成りすませることができる。。都合によって化身しやすくなれるので、江戸幕府は制約をかけると同時に、諸国大名の情報えるのに利用した。偽虚無僧が横行した所以でもある。
そぐわない気持ちをいだかせたのは、法相宗、真言宗、天台宗の境内で吹奏して喜捨を得ることである。
よく調べてみたい課題をみつけた、と思っている。
画像上:若葉の繁りが広い境内を覆っている
画像下:吹奏している虚無僧
古寺素描34-女人高野・室生寺③ー奈良
2017年6月1日 エッセイ
宀一 山室生寺が正式名称である。
寺院につきものの山号は「べんいち」と読み、室のうかんむりと生の一画をもって称号している。初めてこの寺に接するとき正当に二文字を読解できるのは僧籍の関りあいのある人、地元住民以外にそう多くはいないだろう。
石楠花が有名なこともあって参道や石段の径すがらに、花咲きの盛りをすぎて数輪のこる枝葉が参拝客の肩に触れかかる。金堂の前の境内に一人の虚無僧が尺八を吹き流していた。長く見上げる石段の許で、かって観光したときの想い出がよみがえった。何段あるかしらないが、足の弱った今はもとより若齢でも「へ~」と溜息をつくほどの急傾斜段数である。金堂の庇がのぞいているので此処まできたのならと、昇るのである。
画像上:名物石楠花
画像中:石楠花参道
画像下:金堂前の石段
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寺院につきものの山号は「べんいち」と読み、室のうかんむりと生の一画をもって称号している。初めてこの寺に接するとき正当に二文字を読解できるのは僧籍の関りあいのある人、地元住民以外にそう多くはいないだろう。
石楠花が有名なこともあって参道や石段の径すがらに、花咲きの盛りをすぎて数輪のこる枝葉が参拝客の肩に触れかかる。金堂の前の境内に一人の虚無僧が尺八を吹き流していた。長く見上げる石段の許で、かって観光したときの想い出がよみがえった。何段あるかしらないが、足の弱った今はもとより若齢でも「へ~」と溜息をつくほどの急傾斜段数である。金堂の庇がのぞいているので此処まできたのならと、昇るのである。
画像上:名物石楠花
画像中:石楠花参道
画像下:金堂前の石段
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古寺素描33-女人高野・室生寺②-奈良
2017年5月31日 エッセイ
真言宗の一派であるが、近年(昭和39年)真言宗室生寺派として独立、大本山になっている。創建からの由来は複雑で法相宗、真言宗、天台宗が入り混じった宗兼学の修練寺院だった。以下「歴史探訪クラブ」の資料を抜粋転記して史実を確認しぃておきたい。
「境内は鬱蒼とした山峡に不規則に堂宇が建ち並び、国宝・五重塔は日本最小の塔として優美な姿が喧伝されている。平安初期の金堂、鎌倉時代の本堂はともに国宝で、各堂には国宝、重文の仏像が安置されている。室生寺の四季は、早春の梅にはじまり、山桜、新緑、淡紅色の石楠花、夏の緑陰、秋になると紅葉、冬はあたり一面が雪に覆われ、訪れるたびに違う表情を見せる」
歴史
「奈良時代末期の宝亀年間(770~780)当時の皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、奈良興福寺の名僧らが室生山中で祈願し病を治したことから、後に天皇の命により、室生寺を創建し、弟子の秀円によって基礎が固められた。秀円の時代、高野山から空海の高弟真泰が、比叡山から天台僧円修が入山し、、、、平安時代中期以降、室生寺は興福寺の末寺でありながら真言密教が盛んに流入し、鎌倉時代末期には本堂や御影堂が建立されている。江戸時代に入り、元禄11年(1698年)、真言僧護持院隆光の力添え、五大将軍徳川綱吉の母・桂昌院の命により法相宗の興福寺から分離独立し、真義真言宗豊山派の寺院となった」
画像上:山門
画像中:境内石楠花の参道
画像下:山門の阿修羅像左
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「境内は鬱蒼とした山峡に不規則に堂宇が建ち並び、国宝・五重塔は日本最小の塔として優美な姿が喧伝されている。平安初期の金堂、鎌倉時代の本堂はともに国宝で、各堂には国宝、重文の仏像が安置されている。室生寺の四季は、早春の梅にはじまり、山桜、新緑、淡紅色の石楠花、夏の緑陰、秋になると紅葉、冬はあたり一面が雪に覆われ、訪れるたびに違う表情を見せる」
歴史
「奈良時代末期の宝亀年間(770~780)当時の皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、奈良興福寺の名僧らが室生山中で祈願し病を治したことから、後に天皇の命により、室生寺を創建し、弟子の秀円によって基礎が固められた。秀円の時代、高野山から空海の高弟真泰が、比叡山から天台僧円修が入山し、、、、平安時代中期以降、室生寺は興福寺の末寺でありながら真言密教が盛んに流入し、鎌倉時代末期には本堂や御影堂が建立されている。江戸時代に入り、元禄11年(1698年)、真言僧護持院隆光の力添え、五大将軍徳川綱吉の母・桂昌院の命により法相宗の興福寺から分離独立し、真義真言宗豊山派の寺院となった」
画像上:山門
画像中:境内石楠花の参道
画像下:山門の阿修羅像左
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古寺素描32ー女人高野・室生寺①-奈良
2017年5月28日 エッセイ
女人高野とは男子禁制の参拝とは異なる。
ところが高野山は女人禁制で、一定のところから上には女性禁足令が厳重に敷かれていた。空海の真言宗における大本山でこの戒律は江戸時代まで続き、禁足が解かれたのは明治
に入ってからである。室生寺は善男善女が詣でる古刹であるため、その意味では高野山に対峙するものであった。
大阪本社に在勤していた若いころは平城京に興味がって室生寺はもとより彼方此方歩きまわっていた。ところが中心部の寺社はまとめて見学できても、他の有名な寺院は山中に散在していて自家用車がないと、思う処を想う時間に訪ねられない。切歯扼腕の体験が多かった。
室生寺のある奈良県宇陀市室生もそういう処だ。
画像上:ひきもきらぬ善男善女の門前町
画像下:室生川に架かる門前町の赤い太鼓橋
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ところが高野山は女人禁制で、一定のところから上には女性禁足令が厳重に敷かれていた。空海の真言宗における大本山でこの戒律は江戸時代まで続き、禁足が解かれたのは明治
に入ってからである。室生寺は善男善女が詣でる古刹であるため、その意味では高野山に対峙するものであった。
大阪本社に在勤していた若いころは平城京に興味がって室生寺はもとより彼方此方歩きまわっていた。ところが中心部の寺社はまとめて見学できても、他の有名な寺院は山中に散在していて自家用車がないと、思う処を想う時間に訪ねられない。切歯扼腕の体験が多かった。
室生寺のある奈良県宇陀市室生もそういう処だ。
画像上:ひきもきらぬ善男善女の門前町
画像下:室生川に架かる門前町の赤い太鼓橋
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球形Park-岩倉山2
2017年5月24日 エッセイ
小さな櫓に似た展望台があって、その上に立つと意外に周囲の展望がひらける。中世の山岳仏教の一大伽藍を形成していた円城寺規模が足下に見え、県南・見東の丘陵を望見、条件のいいときは県北の方角に蒜山が、藍の空に薄墨のように浮かぶ。
最初にきたときは、いつだったか良く覚えがないが、まだ不整備だったような気がする。それからを追憶し比較してみれば随分明るくイメージチェンジした雰囲気になった。管理がゆきとどいている。
最初にきたときは、いつだったか良く覚えがないが、まだ不整備だったような気がする。それからを追憶し比較してみれば随分明るくイメージチェンジした雰囲気になった。管理がゆきとどいている。
球形Park-岩倉山1
2017年5月23日 エッセイ
Parkという冠名にふさわしいかどうかはさておき、この地は 岡山県の中心部にあたるので県の「へそ」といわれている、それに因んだ石碑とか記念碑があって標高394.34メートルの頂上部にお椀を伏せたような小さな丘をつくり、にぎやかな装飾の態をつくっている。ステンレス球形のモニュメントが置かれている。場違いにテカテカ光っているのは、「全国心臓病の子供を守る会」の岡山県支部によって設置され、人間の中心である心臓を絡めて設置されているそうだ。当時、盗難に遭い新聞種になった。
画像上:ステンレス製球形 映る世界に魅せられる
画像上:ステンレス製球形 映る世界に魅せられる
出湯ー秋津温泉3(完)-甌穴峡谷
2017年5月15日 エッセイ
甌穴とは「おうけつ」と読む。見馴れない活字で聞き馴れない言葉だが、全国の有名な峡谷に甌穴峡谷群なるものが多数存在している。
床の硬い岩質に石灰質とかの柔らかい岩が混じって形成された川床に凹みができると岩石がはまりこみ、急流で回転すると丸くなり川床の孔は大きくなる。それが大小の甌穴であり床岩一面に奇妙な文様にみえる。
奥津温泉の旧道、紅葉しぐれの道を散策すると道路沿いに案内板がある。峡谷の岩噛み音が落葉樹の若葉を揺らしている文学の道でもある。
興がむいたら道すがら出湯につかり珍味を味わってみるのも「しみじみ」を奥深くさせてくれる筈だ。
画像:甌穴のある峡谷
床の硬い岩質に石灰質とかの柔らかい岩が混じって形成された川床に凹みができると岩石がはまりこみ、急流で回転すると丸くなり川床の孔は大きくなる。それが大小の甌穴であり床岩一面に奇妙な文様にみえる。
奥津温泉の旧道、紅葉しぐれの道を散策すると道路沿いに案内板がある。峡谷の岩噛み音が落葉樹の若葉を揺らしている文学の道でもある。
興がむいたら道すがら出湯につかり珍味を味わってみるのも「しみじみ」を奥深くさせてくれる筈だ。
画像:甌穴のある峡谷
春の山菜には珍味な味を楽しましてくれるものが豊富に出揃う。残雪をわって顔をのぞかせるフキノトウ、ワラビ、ゼンマイ、タラの芽、コシアブラ、根曲がり竹、ワサビの葉、いずれも野趣の匂いと味がして好きな者にはたまらない、熱い炊き立てのご飯の惣采や晩酌の肴にうってつけである。妙に脂と合うのが共通していて、特にコシアブラなどは天麩羅にぴったり。鼻孔と喉こしに春の風味を満喫させてくれる。
毎年早春に、ただワサビの葉を買い求めるため奥津の道の駅まで長距離ドライブする慣わしになっており、今回も遠征してワサビの葉は希みどうり買い入れたが、もっともほしかったコシアブラはとっくに売り切れていた。
道の駅のある山腹には真っ白なコブシの花が咲き、山膚を染めあげて散在いるものだったのに今年は早くも散り、公園の木のみ花弁をつけていた。その風景はキャンバスに描いた山峡の出湯そのものだった。
画像上:桜はつぼみ 梢を透かしての温泉街
画像下:雪解けで増水した渓流
毎年早春に、ただワサビの葉を買い求めるため奥津の道の駅まで長距離ドライブする慣わしになっており、今回も遠征してワサビの葉は希みどうり買い入れたが、もっともほしかったコシアブラはとっくに売り切れていた。
道の駅のある山腹には真っ白なコブシの花が咲き、山膚を染めあげて散在いるものだったのに今年は早くも散り、公園の木のみ花弁をつけていた。その風景はキャンバスに描いた山峡の出湯そのものだった。
画像上:桜はつぼみ 梢を透かしての温泉街
画像下:雪解けで増水した渓流
病身の男と温泉旅館の女将の不倫を描いた小説、「秋津温泉」は奥津温泉がモデルである。山深い渓谷の温泉郷で、中国山脈の裾を濡らしながらながれる、吉井川源流に近い出湯の集落を舞台にした美しい文章で綴る愛憎の物語でもある。
岡山県備前市出身の藤原審爾が作者、中間小説の名手といわれ純文学から通俗小説まで幅ひろく執筆している作家で標題の作品は映画化されており、長門裕之、岡田茉莉子が主演している。実娘は女優の藤真利子、あまり興味のなかった人で私の識っているのはこの程度である。
だが「秋津温泉」の作品には胸をとどろかせて読みかさねた思いがある。
山野草撮影を趣味にしていた頃、この温泉をよく通過して中国山脈の中を徘徊していた。滞留したことは殆どなく日帰りの観光温浴を楽しむのに距離的に限界の県境温泉地で、この意味でのドライブは今も続いている。
画像上:青空と稜線と白亜の建物
画像中:こぶしの花
画像下:温泉街をつらぬく吉井川の清流
足湯場、洗濯ダンス場、雪解け水の河川敷
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岡山県備前市出身の藤原審爾が作者、中間小説の名手といわれ純文学から通俗小説まで幅ひろく執筆している作家で標題の作品は映画化されており、長門裕之、岡田茉莉子が主演している。実娘は女優の藤真利子、あまり興味のなかった人で私の識っているのはこの程度である。
だが「秋津温泉」の作品には胸をとどろかせて読みかさねた思いがある。
山野草撮影を趣味にしていた頃、この温泉をよく通過して中国山脈の中を徘徊していた。滞留したことは殆どなく日帰りの観光温浴を楽しむのに距離的に限界の県境温泉地で、この意味でのドライブは今も続いている。
画像上:青空と稜線と白亜の建物
画像中:こぶしの花
画像下:温泉街をつらぬく吉井川の清流
足湯場、洗濯ダンス場、雪解け水の河川敷
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季のしずくー春編・ネコヤナギ2
2017年4月21日 エッセイ
故郷の川は備中川という。
北房の山奥、新見と北房の分水嶺から水が湧き、カルスト台地の豊永からの豊かな滝水をのみこんで備中川を形成し、山合の肥沃盆地を流れて落合というところの河口の街で文字通り旭川へ落ちている。
ごろた石の河川敷きに瀬と淵がくねくねと続き、ヨモギとネコヤナギが混在してところどころに中州ができていた。背がとどかない淵の水中には木の杭で囲われた石組があって、鯉、鮒、鰻、鯰などがひそんでおり水中鉄砲で捕獲しては学童は有頂天であった。夏休みの唯一の楽しみであった。
川ニナも仰山棲んでいた。したがって6月のころの夜はゲンジホタルがうんかのように飛び交って幽玄さながらの舞台にもなった。ホタルの寝床はヨモギなどの草であり、ネコヤナギの枝であった。ことにネコヤナギを透過して、少年時代の青臭い想い出に耽っているのだ。
北房の山奥、新見と北房の分水嶺から水が湧き、カルスト台地の豊永からの豊かな滝水をのみこんで備中川を形成し、山合の肥沃盆地を流れて落合というところの河口の街で文字通り旭川へ落ちている。
ごろた石の河川敷きに瀬と淵がくねくねと続き、ヨモギとネコヤナギが混在してところどころに中州ができていた。背がとどかない淵の水中には木の杭で囲われた石組があって、鯉、鮒、鰻、鯰などがひそんでおり水中鉄砲で捕獲しては学童は有頂天であった。夏休みの唯一の楽しみであった。
川ニナも仰山棲んでいた。したがって6月のころの夜はゲンジホタルがうんかのように飛び交って幽玄さながらの舞台にもなった。ホタルの寝床はヨモギなどの草であり、ネコヤナギの枝であった。ことにネコヤナギを透過して、少年時代の青臭い想い出に耽っているのだ。
季のしずくー春編・ネコヤナギ1
2017年4月17日 エッセイ
春の水辺でこの木に出会うと、寒がりの私は「おっ、やっと本格的な春だなぁ」と肩の凝りがやわらぐのである。花穂をくるんだ綿毛に、きらきら輝る春の陽がやどると、青春に舞いもどった気さえする。
改築やら修復をおえた最近の河川にネコヤナギは消えてしまった。昔の風眉を想いだす植物のひとつになった。
同じヤナギ科にタチヤナギ、ナガバカワヤナギがあって植生する環境もよく似ている。ただ樹高が似て比ずである。いずれも犬の尻尾のような穂をだして小動物を総称しているものの、ネコヤナギというからには猫の尻尾に似ているという説明のほうがしっくりくる。
画像:牧石地区河川敷きのネコヤナギ
改築やら修復をおえた最近の河川にネコヤナギは消えてしまった。昔の風眉を想いだす植物のひとつになった。
同じヤナギ科にタチヤナギ、ナガバカワヤナギがあって植生する環境もよく似ている。ただ樹高が似て比ずである。いずれも犬の尻尾のような穂をだして小動物を総称しているものの、ネコヤナギというからには猫の尻尾に似ているという説明のほうがしっくりくる。
画像:牧石地区河川敷きのネコヤナギ
季のしずくー春編5・さくら
2017年4月16日 エッセイ
ソメイヨシノは蕾のほころびが目立ち、2~3日すればがくが弾けて花弁がもりあがる気配であった。
まちかねた人たちが根元の樹下に車を停めカメラで戯れていた。
満開はもうすぐだ。
画像:ソメイヨシノ&ヤマザクラ
まちかねた人たちが根元の樹下に車を停めカメラで戯れていた。
満開はもうすぐだ。
画像:ソメイヨシノ&ヤマザクラ
季のしずくー春編4・さくら
2017年4月11日 エッセイ
さくらの咲くこの時期、よく雨が降る。
雨は降りはしないがよく曇る。大陸からあるいは日本海で雨雲が発生して列島を覆い尽くす。願わくば晴天のしたでスカッとした花笠を仰ぎたいものだが、粋人好みの花曇りが続いて、一陣の風ではや花弁を散らしても良、瀬の流れにまかせては澱みで渦をまく花筏を眺めて尚良し、枯れた朱塗りの盃に色をのせることである。肴はお重をかさねた手づくりの煮物、焼物が揃えばこのうえなくいいのではないか。
ところが、今日日、そのような趣向は彼方の空にとんでいったようでガスボンベに焼肉、紙コップの酒がはなさかりで喧騒このうえない。酒に馴れない若者が酩酊するととんでもないハプニングを興したりする。
桜は種類の多い樹木のひとつ。汚染の根幹である排気ガス対策のヒマラヤサクラは年末に、一足早くはカワズサクラ、季節季節に咲くシキサクラ、葉を先出して咲くヤマサクラ、それらを人工交雑した種種のものも随分ある。それぞれの愛で方も多様で、日本人の中間的思考によくマッチしている。エドヒガシとオオシマザクラの交雑が代表的なソメイヨシノの固定種になった。花のつけ具合、樹形のボリュゥム、散り際の情緒、いずこをとってもソメイヨシノは桜の覇者であろう。
それと比較するのはどうかと思うが、ヤマサクラの侘しさは特別である。山肌にポツンポツンとぼんぼりのように散在している図は眺めて飽きがこない。
ソメイヨシノとヤマザクラの相咲きがひとり占めで観賞できるお気に入りの旭川沿い牧石地区に、今年も愛犬をつれてでかけた。
画像:旭川牧石地区 対岸のヤマザクラ
雨は降りはしないがよく曇る。大陸からあるいは日本海で雨雲が発生して列島を覆い尽くす。願わくば晴天のしたでスカッとした花笠を仰ぎたいものだが、粋人好みの花曇りが続いて、一陣の風ではや花弁を散らしても良、瀬の流れにまかせては澱みで渦をまく花筏を眺めて尚良し、枯れた朱塗りの盃に色をのせることである。肴はお重をかさねた手づくりの煮物、焼物が揃えばこのうえなくいいのではないか。
ところが、今日日、そのような趣向は彼方の空にとんでいったようでガスボンベに焼肉、紙コップの酒がはなさかりで喧騒このうえない。酒に馴れない若者が酩酊するととんでもないハプニングを興したりする。
桜は種類の多い樹木のひとつ。汚染の根幹である排気ガス対策のヒマラヤサクラは年末に、一足早くはカワズサクラ、季節季節に咲くシキサクラ、葉を先出して咲くヤマサクラ、それらを人工交雑した種種のものも随分ある。それぞれの愛で方も多様で、日本人の中間的思考によくマッチしている。エドヒガシとオオシマザクラの交雑が代表的なソメイヨシノの固定種になった。花のつけ具合、樹形のボリュゥム、散り際の情緒、いずこをとってもソメイヨシノは桜の覇者であろう。
それと比較するのはどうかと思うが、ヤマサクラの侘しさは特別である。山肌にポツンポツンとぼんぼりのように散在している図は眺めて飽きがこない。
ソメイヨシノとヤマザクラの相咲きがひとり占めで観賞できるお気に入りの旭川沿い牧石地区に、今年も愛犬をつれてでかけた。
画像:旭川牧石地区 対岸のヤマザクラ