とんび歳時記ー北房・案山子や~い
 鳥獣の害をふせぐ稲田の番人であり豊穣の祀神である。
 かって魚の頭を焼いて串刺したものを畔に立てたという風習を聞いたことがある。これなど鼻覚による牽制方法であるが案山子は視覚による威嚇方法。
 しかし、人間側からみると脅しとはほど遠いコミカルなイデタチである。いまでは山奥の平地から都会のはずれに進出してきて最近イベント的な人寄せに使われているのをよくみかける。
 ところが、よくよく見ると案山子の肩にとまって囀っているスズメをみかけるのは、いかんともしがたい思いだが長閑な風景とみる分にはこれ以上のことはない。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり8
とんび歳時記ー百閒川のいろどり8
 夏秋混在。
 水量は落ちて、川というより処々の溜まりは湿原に変貌している。長野の深層湿原は、広く雄大で初秋のそれは緑色から枯れ茶色に変幻して自然摂理の深さを堪能させてくれるうつろいの美しさは忘れ難いものがある、その風貌の一画をきりとってみるならば、渇水期の川辺に些少ながら面影を見出すことができる。
 浮草は枯れ、蝦蟇や葦が枯れ立ち、流れをとめた水面に蒼く澄んだ空の淡い夏雲を映している。
 すっかり浅瀬になった水中にシラサギが哲学者のように棒立し、葦の根元からカイツブリがあわただしく走り、唯一流れる護岸の際でおおきな鯉が水面にひれをだして泳いでいる。
 散歩の背につたう汗をおぼえた。
 夏秋混在の短い秋なのである。
 
とんび歳時記ー百閒川のいろどり7
 白色ヒガンバナ。
 紅いヒガンバナが大本で白色は珍しかったが今ではいたるところにみられるようになった。分布の有様はよくわからないが球根をだれかが植栽したのだろうか。
 
とんび歳時記ー百閒川のいろどり6
とんび歳時記ー百閒川のいろどり6
 ハギ(まめ科)
 ウツギ(ユキノシタ科)
 秋と夏が混在している気候にこの2種の植物はおあつらえ向きの花を咲かす。
 一本一本の茎は細くしなやか、小さな花弁を連ねる花序になり、さかんに枝分れしながら大きな株を形成、柳風の枝垂れになる。
 種類の多い植物。
 科、属表で検索をしかけたのであるが、持続力を失くして頁をめくるのをあきらめた。第一、活字が小さすぎる。

註:ウツギは誤りでハナゾノツクバネウツギが正解のようです。
   山野草の師匠からのアドバイスです。

とんび歳時記ー傘踊りin夏まつり
 傘おどりは戦国時代の発祥といわれ、雨乞いあるいは慰霊とかの意味がこめられて伝承されているようだ。
 風のあしあとに囲まれて舞う舞台の彩は、一段と映えていた。



               (画像添付承諾取得済)
とんび歳時記ー竜之口1・水田に咲く花
 田んぼの畔には刈られても刈られてもてもたちまち伸びる草が小径を覆ってしまう。農家との格闘である。
稲をふくめた植物が一年でもっとも伸長する季節。
 そのなかに水田や休耕田に群落をつくって盛り上がって黄弁の花を咲かせるのが、ヒレタゴボウとよばれる野草である。戦後帰化した熱帯アメリカ産の植物で、水湿を好んで繁殖しているところをみると肥料などに混在して種子がはこばれたようだ。温暖化の申し子のような存在だと思うのだが、花はアメリカミズキンバイともよばれていて、結構キレイで見栄えする。

とんび歳時記ー姉妹
成長につれ顔つきに変化があらわれる。
 その成長の著しいのに驚き、人生下り坂をころがるものにとって眩しいほどである。
 
とんび歳時記ー青穂の平原
とんび歳時記ー青穂の平原
 瑞穂の風土、豊穣の稔り、出穂の時を刻むたしかな青いうねり、白い小さな花をつけてやがてたわわに垂れる。
 稲作のステップはたしかに始動している。
 農耕の民の原点である米つくりは今大きな変節の時代をむかえ、日本人がためのエネルギー文化を出穂はもろもろ問いかけているようだ。
とんび歳時記ー晩夏のいろ
 特別暑かった季をどうやら凌げたようだ。
 朝夕に爽やかさがながれると、熱い膨張した大気よりやや冷えた空気のほうが咽頭の通りもいいし行動しやすくさせてくれる。
 夏雲よさらばである。秋の夕暮れにあふれる夕焼けの空、それに向かってとんびのように翔んで溶けていきたい、そう想う日は遠くない。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり4
とんび歳時記ー百閒川のいろどり4
 晩夏の装いがみられるようになると、水量が減って護岸の沈石がうきあがってみえるようになる。流れは一条の波紋を残すだけで水面だけをみると広くは澱んでいるような按配だ。午後の日差しにたちどまっていると、護岸の背にキラッ キラッと銀色が映えて反転しているものが目敏くとらえられ、馴れると大きいのやら小さいのやら、果断なくひからせているのがわかる。
 それはナイフのようだ。正体は岡山弁でいえばハエでありオイカワともいう。
 精磨の刃を手首でひねりながら踊っている危険な動きにみえる。川下から川上に整然と縦に光り決して横になることはない、やはり水面下では結構な流れがあるのだろう。この時期、とくに瀬を好み夕暮れは水面ちかくを舞う羽虫を追って捕食する性質があり、雄は虹に似た婚姻色を体にまとう。
 春から夏にかけて鴨の群れが多い川なのだが渡り鳥は今、遠い大陸へ旅立っておる筈、ところがどの世界でも異端児はいるもので、越年組のひょうきん族の一個小隊が此処あそこに遊弋している。多くて7羽ていどの小隊で達観したような顔つきを悠々泳がしている。雄は雌とかわらない体色にもどってたいてい1~2羽がまじり隊列をリードしていた。
 ある日、特大のネズミトリが石段に日向ぼっこしており鴨の群れを冷酷な眼光で凝視していたのに出会った。あんな大きなものが獲物になるまいに、やがて水中に入り首から下を水にかくしてあたかも潜望鏡のように貌をだして鴨に近ずいたものの、どうあがいても呑み込めないと判断したのか元の石段に上がってなおもあきらめきれづに鴨をみつめていた。
 ある日、真菰をガサガサさせて肥満なヌートリアがわけでて茎をガリガリ齧りだしたのには驚いた。
 小さな秋は生命体の躍動する季節でもある。

 *画像上 越年鴨の小隊
    下 ナイフみたいにひらめくハエ だがカメラの解像度がおいつかない
 
とんび歳時記ー路地裏の太陽
 夕暮れに西空へ落ちる太陽は路地裏をいちだんと濃淡濃くし夕なずみが疾やくなる。太陽自体は白く赤いひかりでめくらましするほど強い。
 散歩で路地から路地をたどり全身赤く染めると別世界にとびこんだようだ。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり3
とんび歳時記ー百閒川のいろどり3
 堤防の上はほどよい遊歩道になっている。
 樹木や屋根のある建物など日陰になるものはなにもないので暑い日はたいへん。
 けれど、風が流れると火照った体に涼やか体感をもたらしてくれて足の動きが軽やかに弾んだ。
 小さな秋の匂いをふくんでいるようだ。
 名のしらぬ草が細い穂をいっぱい吹き出して白い側壁をつくっていた。
 なんの巣だろう、その穂をくるくる丸めているのがたくさんみうけられる。
 風がながれるたび連なった波にそれだけが不規則な揺れをみせていた。
 *註 巣ごときは人為の戯
 
とんび歳時記ー旭川下流のいろどり1
とんび歳時記ー旭川下流のいろどり1
 出石町と後楽園をむすんでいる鶴見橋、使っている建材はごく近々のものであるが古色然のいでだちを設計しているので一見、風雅な橋で、江戸中期の風潮をかさねあわすと髷を結う人間の往来が欄干とすりあって歩いてもおかしくない。
 後楽園の杜をとりこんで岡山城の裾をあらいながら滔々と流れる旭川に鶴が翔べば一幅の画になる。
 さて、歴代池田藩主がめでたかどうかはわからぬが、対岸の岡山城と後楽園を舟で往復して憩った藩主であるから、なきしにあらずである。
 
とんび歳時記ー百閒川のいろどり2
 なにもなかった縁や背高くのびた葦のふところに水草がはびこるようになった。なかでもホテイアオイがあちこちに株をふやして群落をつくり、薄ムラサキの花を咲かし水質に似合わず貴品のある雰囲気をみせるようになった。
 ところどこにあれば水質を浄化する役目をはたしてくれるが、水面を覆うほどに繁茂するとかえって水質を悪化させて水棲動植物に害をあたえるようになる。とてつもなく繁茂する倉敷川のホテイアオイ刈り取り作戦がよく報道されるのは、このことであり、家庭から流れ込む排水で高富養度の状態になった証である。
 海の赤潮に似た濁りが毒々しく屯っていて、百閒川にも水流が澱むとこの状況がみられる。
 適度に繁茂して本来の役目をはたしてもらいたいものだが、人の生活のありかたに要因のかかわりが大きい。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり1
 カイツブリの巣。
 県下のため池にハスとかヒシが水面に繁茂するのが今頃、カイツブリはそんな環境状況に合してかどうかわからないが枯枝枯葉、なかには人工ゴミのようなものを集めて浮揚巣をつくり産卵し孵化する。カイツブリそのものが黒褐色の全身であることに加え巣づくりの材料が同色なので、なかなか水鳥の巣とは断じ得ない。側頭部から首にかけて茶褐色の帯があるが遠目の肉眼ではわかりにくい。
 双眼鏡かズームの利くカメラであれば判別できる。
 4個の産卵が通常で本巣では4羽の雛鳥が確認されているようなので全て孵化していることになる。
 
とんび歳時記ー旭川湖畔のいろどり3
とんび歳時記ー旭川湖畔のいろどり3
 県道30号線が建部と美咲の境界域あたりの栃原地区にさしかかると、90度左折する箇所に出くわす。真っすぐは道細くなりやがて川幅も細くなって渓谷の相をなし狭隘の谷を登りきれば棚田百選の[はが]にたどり着き、その途中、初めての従軍記者で卵ご飯を広めた岸田吟香の生家と記念碑も見られる。
 しかし余程でないと旅人は狭隘の道程はえらばない。
 人は広い幅のある方を選んで安心感を得るものである。
 
 
とんび歳時記ー旭川湖畔のいろどり2
とんび歳時記ー旭川湖畔のいろどり2
 今は知らないが、何十年前はヘラブナ釣りのメッカで名をはせていて遠くは京阪神の人が多く遠征にきて釣座をしめていたように記憶している。背に急斜面の藪を負い、張り出した岩に彼方此方と人がいて僧侶のそれのように黙然と坐しながらときたま長い竿をふっていた。対岸の桜の樹下でその動きのない光景を見ていた当方も気がながかった。一向に釣果がなくて痺れがきれ立ち去っていた。
 どこからあのポイントにたどりついたのか疑問におもってていたが、モータボートの渡しを利用していたのだ。
 いつごろからか、ちっちゃな私艇がミズスマシのように増えて水面をはしりだし絶えまなく竿を操作する釣りがはばをきかすようになってきた。
 いうまでもなくヘラブナからバスなどの外来種あいてにルアーのキャスティングしているのである。深い濃緑にしみこんで、いずれの釣り方にせよ自然に同化してしまえば壮快につきる。

 *註 画像上 ボート係留筏
     画像下 釣人孤舟
   
とんび歳時記ー旭川湖畔のいろどり1
とんび歳時記ー旭川湖畔のいろどり1
 国道53号線は福渡で左折すると県道30号線で、いわゆるこれが出雲街道と地図上に記述されていて古来から山陰へむかう主道のひとつだった。30号線としての道なみでいえば美作落合で国道313号線に吸収され、ついで久世で181号線にだきこまれ、はては勝山の街中でふたたび313号線に分離独立し下蒜山の中国山脈を切通して因幡の倉吉へながれつく。
 まさに旭川河畔をうねうねと羊腸のように吉備高原から中国山脈をつらぬく緒が県道30号線であるわけだ。
 ドライブ中、左側の川面をみると渓流のごとき石を噛む流れがみえ中流域とはみえないのだが、それというのも旭川第一・第二発電所旭川第一ダム・第二ダムが堰になって流勢をそいでいるからである。
 わけても神瀬地区の第一ダムは湯原ダムに次いで巨大な構築物であって満々たる水量を湛えている。上流の鮎をはじめとする棲息魚はここで下流域にくだることを阻止されていた。
 堰堤対岸は吉備高原町加茂川域にある本宮山がでんと座っていて西麓には山岳仏教の聖地円城寺がある。
 おどろきは、なんといってもこのダムあたりまで岡山市の行政域であることだ。

 註:画像上は旭川第一発電所ダム 下は第二発電所ダム

とんび歳時記ー備中路1・水田花文字
 故郷の備中川は吉備高原に端を発し真庭は落合を尾として旭川にそそぐ。
 農耕の盆地を貫き田畑を潤すことを旨としてこの川はなりたっているし、指折りしても10指では足りないほどの多くの想い出を今になおかもしだしていてくれている。その水田橋の下手堤防に花文字の枠がつくられ、別地に育てられているコスモスがやがて移植され[水田]の花文字が浮かびあがってくるしかけだ。
 

 
とんび歳時記ーサギソウ
とんび歳時記ーサギソウ
とんび歳時記ーサギソウ
 一輪が開花すると日をかぞえて咲きだし、小さな鉢は白い清楚な花で彩られる。茎がほそながくて、絶えず微風にゆれるのをみると、白鷺が群れて翔んでいるようであり飛行機が滑空しているようでもある。

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