とんび歳時記ー旭川のいろどり6 
とんび歳時記ー旭川のいろどり6 
岡山城のツメレンゲ。

 宇喜多時代の野面積み石垣に植生している、ベンケイソウ科の多肉植物。遠目にめだたないし乾いた岩に根をおろしているので群生していない、観光客の目にはほとんどつかないところでひっそり生きている。ぐるりと周ってみたが平成に入って改修した石組はもちろん、池田時代の岩にもみあたらないし此処一か所のにみることができた。赤い葯がポイントになって恥かむ可愛さをなげかけてくれていた。
とんび歳時記ー旭川のいろどり5
とんび歳時記ー旭川のいろどり5
 大河の落日ー赤い赤い夕陽

西空を真っ赤に染めあげて落日になると一日の終りである。
 釣瓶落としとはよくぞいったもの、薄い衣いに覆われるとたちまち黒墨をながしたように辺りは黒く変身する。そのわずかな時間差にあかね空が貌をのぞかせる。暗闇の中ですべての生物はそれぞれのリズムを秒針のように刻んでいく。

 
とんび歳時記ー旭川のいろどり4
孤舟。

 一艘の川舟が岸につながれている。
 川漁に使われている底の平らな舟である。 
 釣り舟ではなくて、長い立網を川の流れに直角にはって、上下流で竿を水面をたたき、ビックリ・ポンの落ち鮎をおいこみ網目にひっかける漁である。シーズン的にはもう終わっているのだろう。
 後楽園の岸にも2~3艘が係留されていて、月見橋あたりに発砲スチロールの浮木をつけた蟹篭漁をこの川舟をあやつりながら漁師の方が行来していた。旧榊原病院に入院していたときに病窓から飽きもせず眺めていたものだ。
 川は孤舟が似合う。
 
とんび歳時記ー旭川のいろどり3
とんび歳時記ー旭川のいろどり3
  山陽本線橋梁と岡北大橋。
 日本列島縦断する動脈の橋梁は豪壮につきる。機械工学の進化とともにも少し静かなにならないものかなと、つくづく思うのだが世紀またいで一向に変わらない。線路敷設の構造も改良したとも聞かないし橋桁の有様も改善したとも聞かない。沿線の住宅住民のストレスも大変だ。しかしこの音と振動がなくなったら生活感がないという人も確かに存在する。要は馴れである。なんといってもしかたがないという観念が下敷きになって音と振動と風景を生活リズムに包含したいざぎよさかもしれない。
 橋梁したは共鳴が倍加するから口舌を絶する。
 タイミングよく橋梁下を歩いていて電車の通過に遭うと爆弾を投下されたような驚愕に、凍った手で心臓をつかまれた衝撃でとびあがる思いだ。
 巨大な橋桁に音を吸収する仕組みを埋め込みできないのか、唸る。

 岡北大橋はすっかり市民の橋に定着した。橋ができて如何ほどの貢献があったのか不詳だが、通勤通学行楽になくてはならない必要感を満足させてくれている。

とんび歳時記ー百閒川のいろどり13
 水鏡。
 湯上り美女は水鏡に身を写して貌の施しをしたりほつれ毛を手でなおすしぐさで、えもいわれぬ艶やかさを演出する。これは江戸時代の絵草紙にでてくる。
 百閒川の流れを止めた水面に写した雲をながめているうち、どういうことかこんな絵を脳裏に思いうかべた。
 
とんび歳時記ー百閒川のいろどり12
 川鵜(カワウ)。
 体色はカラスの漆黒に似て見間違うが、驚かぬ程度にちかずくつと首が異様に長く頭から胸のあたりに白い飾り毛がみえた。繁殖時に婚姻色としてあらわれる。
 大きな捨石に居座り水のなかに見栄えしない2羽がたむろっている。早春にここを散歩していたとき一羽をみつけ水中に潜るのをおいかけてみたことがあるが、一度潜ると1分ぐらい姿をあらわさず、とんでもない遠くに浮かびあがってきたものだ。そのときは柔らかな喉を脈うたせて小魚を嚥下していた。

 鵜飼の鵜はおもに海鵜(ウミウ)をつかっている。ところによっては川鵜をつかっているそうだが、使い分けの違いはよくわからない。浅いところは川鵜が得意というのは、どかかで聞いたがそれ以上の知識はない。
 
 大繁殖した川鵜が浅瀬にまぶれて落鮎やら稚鮎をさかんに捕食している光景は後楽園の上手でよくみかけたが今はどうか。ねぐらにしているコロニーの樹が糞害にあって枯れるというし、昔日には貴重な肥料として珍重されたらしい。害と益は裏返しの現象である。

とんび歳時記ー百閒川のいろどり11
 この木なんの木 気になる木~
 
 電器メーカのコマーシャルでながれる唄。
 あれは亜熱帯の草原の樹であって、百閒川のこれは単なる疑問からでてきた問いの唄でついくちすさんだもの。緑葉のときは格別意識しなかったけど紅葉のときは抜群に存在感がある。
 散歩する人に聞いてもわからなかった。
 水岸に中州のような盛り土に、ぽつんぽつんと生えているこの樹木はなんという名前の木だろうか?他の木よりいちはやく色つき、真っ赤に紅葉して水辺を華やかにしてくれる。遠望の山が色ずくころには広葉に灰色がしみてはやばやと挽歌をうたうようになる。
















とんび歳時記ー百閒川のいろどり10
とんび歳時記ー百閒川のいろどり10

いわし雲。
 この雲があらわれると鰯が豊漁という。
 海で暮らす人たちの縁起物。
 平地で暮らす者にはなんの恵みがあるのだろうか。
 河川敷の敷石に腰をおろして空を見上げ、好いことなにがあるのだろう、と願う。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり9
 渇水期にはいった。
 百閒川の水位がさがるのは旭川の流量が思いほか少ないのだろう。毎年いまどきの水嵩はこんなもんだといわれればそれまでだが、例年より少ないように感じる。
上流における降雨の加減やら中奥山脈の貯水能力にたけたブナ林の少なさの由縁なのか(岡山県のブナ林は鳥取県などにくらべると非常に少ない)、そこらへんの事情のようなきがする。

 百閒川にもどると、川幅の2/3は浅瀬になり白鷺が水面に立って魚を捕食しているのをみると想像ができよう、巨大な鯉、似鯉、鮒などが背びれを水面にだして泳いでいるのである。
 さながら広大な湿原の趣がある。

とんび歳時記ー白鷺城2
とんび歳時記ー白鷺城2
 楼閣の多い城である。築城以来、平城であるから紆余曲折の櫓の配置になっておりさながら迷路の構築は、侵入者にたいして何処の角度でも狙えるようになっている。威風堂々たる鶴翼の城閣は平城の防御に完璧な構えである。
 在城の地はかって南北朝時代から姫山と称される小高い丘だった。播磨の士豪だった御着の小寺氏が砦ていどのものを構築したのが発祥、のち家老の黒田家に常駐させ安土桃山時代には中国制覇の拠点として羽柴秀吉の居城になり、大阪の陣から関ヶ原の戦を経て本多氏にうつり、徳川家康が天下掌握のち功労のあった池田輝政に移封せしめ山陽道の鼎に位置づけた。したがって現在の威風城閣は池田輝政の縄張りで完成したもの。

 6層の天守閣は敵を迎え討つ構えとして、当然のことながら上層へいくほど狭く暗く急勾配のしつらえで、老齢の身では長蛇の歩みに、とうとう音をあげてしまった。
 富士山と同様、どの城の天主も遠くからみるもので立ち入るものではないと、つくづく肝に染みたものだった。 

とんび歳時記ー白鷺城1
とんび歳時記ー白鷺城1
 新装なった白鷺城。
 新装公開なって日数が経過し、観光客もおちついただろうと思い各駅停車の電車に家族で乗り込んだ。車窓からとんでいく山河田園はずいぶん馴染んだ風景だが、退職のち、ひとつひとつの駅をそらんじるような小旅行は疎遠になっていて、そのぶん窓枠に肘をついてながめていれば修学旅行の少年の心持がした。できることなら缶ビールにいかの足をつまんでゴトンゴトン揺れる旅をであったら至極のきわみだろうと思うのは、大人になった願望である。
 駅前から春霞のような空に溶けこんだ城閣がおぼろげに見えた。ほぼ直線につながった道を、おりから祭礼の神輿がかけごえに囃されて商店街からあらわれ、次の路地に消えていった。城前の公園では青空市とかで軒を連なる屋台に人が群れつどう。
 大型の観光バスがひしめき、聞きなれないハングル語の会話を放つ波にもまれ1時間待ちという桜門(大手門)での待機を余儀なくされた。想定外の人海で、これだけで十分辟易感がわいてきだした。
とんび歳時記ー短い秋3
とんび歳時記ー短い秋3
 野道を歩いていると小さな秋に出う。
 道にかぶさる藪のなかに、虫食いだらけの白いイタドリの花&とげで威嚇するノイバラの赤い偽果、人が見返らない忘れられたような植物だけどキチンと自我を全うしていた。
 行き交う人間をどのように眺め偶ているのだろう。
 

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関連ブログ
    「月別山野草探訪撮」
     http://blogs.yahoo.co.jp/unoshizuonine  
           
「もろもろ探訪撮」
     http://shizu16112.diarynote.jp/  

とんび歳時記ー短い秋2
 紅葉まえの緑の映え、朝日を浴びて若葉のように光る。
 アメリカ産のモミジバフウだがマンサク科の仲間というのには驚く。成長すると巨木になり荒々しい縦割れの膚を幹に持ち、広葉は互生で傘状に繁り、日陰に最適。公園におおく植樹されているのがうなずける。
 もうじき、紅葉するとまことに美しい。とくに朝日が昇るときの透過の美しさは例えようがない。
 画像はグリーンシャワー公園の遊歩道にて。
とんび歳時記ー短い秋1
 秋日和になったり合せ着が欲しいほどの寒気になったり、相も変わらずの気候変動の激しさに愚痴をこぼしていると、季節の変わり目だからしかたがないと諭される始末。季節のパターンはわかるけど、その振幅の度合いが激しすぎる。
 体の調整に煩わしさがつのる。

 東岡山の小高い丘にのぼって新幹線を入れた景色を撮っていると、春のような日射しのなか紅葉の空間をアカトンボとモンシロチョウが翔んでいた。そういえば今朝、庭のラズベリーが数枝に実をつけて熟し美味しそうに黒ずんでいたのを口に含んだことを思いだした。
 春夏混在どころか春夏秋の三季混在である。
とんび歳時記ー旭川下流域のいろどり2
 ある記念として、また堤防の強化策として一時期さくらの植樹がさかんにおこなわれた。四季を愛でることと防災との一挙両得で結構であるが、防災をかんがえてみると少し初歩的な疑問がある。およそ寿命が百年といわれるらしいけど枯れて朽ちた根幹部分はいったいどうなるだろう、土中で腐食し微生物に分解されて多分土に還るだろうけどその痕の形態は空洞のままなのだろうか、周囲の土砂がじわじわ埋めていくのだろうか、気の永い期間を要するはしかたがないとしても、陥没し事故をおこしかねないではないか、されば根こそぎ掘り起こすにしても縦横に張った根の排除は容易ではなく、堤防を脆くさせる要因になるのではないか。
 などと、凡人はいらざる探求するものである。
 老樹になると幹に空洞がおこり、名のある樹は治療されてぐるぐる包帯を巻かれては銘木といえども風雅どころかいたましいかぎりである。

とんび歳時記ー風媒花・ガマ
 またたくまに季節がすすんで山野の植物は花を咲かせ実をつける。
 秋の山野草はいっせいに花弁を開き、木片の枝は赤や濃紺の実をたわわにつける。
 里山の麓では湿田に特有の穂を葉先の上に伸ばしているのを目にするようになった。
 ガマである。

 ガマの茶褐色の穂は、カマボコの語源で今でいうのならチクワの形である。色といい、そのまんまなのがなんとも微笑ましい。
 風媒花の所以は、穂の下部が雄花で上部が雌花に分かれていて秋深くなると一斉に穂全体に白い小花を咲かせて種子をだいたまま風に吹かれて飛び、落ちた湿地に根をはやし生育域を広げていく。風媒の散るその光景は雪が舞うようで不意に遭遇すると一瞬目をみはるものがある。
とんび歳時記ー青い山
 ー分け入っても分け入っても青い山ー

 放浪俳人種田山頭火の有名な句である。
 俗の世間を捨て鋭い感性の身を放浪に投じた滲みをすくいとることができる。
 高山とか、あるいは県内の山深いところでもいいが、夏秋が混在しているこのころを歩いているとこのような句が思いわいてくる。今は山が青いと表現できる端境期であって、やがて紅葉になり落葉になる前のわずかな期間の舞台でもある。
 県南の近場で手入れが疎かになった森では枝打ちもままならずに放置され、蔓の類がヒトデのようにのびて山道を塞ぐなど鬱蒼たる薄暗い森は数多くある。
 わずかな人跡を追って分け入っても草丈が膝をかくすほどになれば、長虫や人害のある虫を先ずかんがえると自ずと踵をかえすようになるのではないか。
 これ以上、林業の衰退がつづくと遠からず人里半ばはジャングル化して俳句を詠むどころではなくなるし、山越えの放浪ロマンなど夢のまた夢の青い山になる。
 
 
とんび歳時記ー中秋の名月や
 大相撲千秋楽のTV座敷からはなれられず、夕暮れになって愛犬の散歩にでかけた。
 用水路沿いの路を、とまっては匂いを嗅ぐ相棒にあわしていると、自動車学校の灯りとはちがう明るさに気がついてみあげると東空に真円の月がぽっかり浮かんでいた。
 そうか、今日は中秋の満月だったのだ。
 大人ばっかりの我が家に、ススキを活けてお団子を供える風習などあろうはずがないのですっかり忘れていた。
 人通りのたえた月明かりの道を愛犬と会話しながら歩いた。
とんび歳時記ー北房・彼岸の花
 田畑の角に咲いている盆花といえばミソハギというのが一昔の定番であったが、今はほとんど見かけなくなった。黄金色の穂が垂れはじめた畔や堤を、鮮やかな紅をひいているのがヒガンバナで、実にあでやかさをほこっている。
 彼岸入りの日に姉と一緒に故郷の墓参に詣でた。
 線香のたゆとう煙越しの彼方に咲くのがこの花だ。
 この季節によく似合う花である。

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