よろず歳時記ー百閒川のいろどり19・誰もいない園地
2015年12月24日 趣味
冷やっこい北風が襟もとなでて通りすぎていく。うっ寒い、・・首をちじめると自然に顔がしかみ、河川敷のランニングコースは風の通り道になっているので、さすが犬をつれて散歩している姿は疎らだしちびっこの嬌声も聞こえない。
茜いろの光りが左岸のビルを刺してある種の美しいスクリーンになっていた。
逆に陰影の濃い園地はひっそり孤独だった。
ブランコ、シ―ソの上を北風が揺らしもせずに吹きぬけていた。
茜いろの光りが左岸のビルを刺してある種の美しいスクリーンになっていた。
逆に陰影の濃い園地はひっそり孤独だった。
ブランコ、シ―ソの上を北風が揺らしもせずに吹きぬけていた。
よろず歳時記ー旭川のいろどり12・日暮れ前②
2015年12月23日 趣味よろず歳時記ー旭川のいろどり11・日暮れ前①
2015年12月22日 趣味
日没前の光景はひときわ陰影が濃くなる。
地上にあるものほど闇のいろあいを増し水と空が明るさを残す。
黒々とした裸木は落葉した梢でなにかを語っているようだ。
雲は低く重くたれこみ、山陰の空のよう。
その西空の一画を鈍い刃で切り込んだごとく、上空の蒼いそらを楔形にひらき、茜雲をのぞかせた。
一瞬、水面とS病院が光のなかにかがやいた。
地上にあるものほど闇のいろあいを増し水と空が明るさを残す。
黒々とした裸木は落葉した梢でなにかを語っているようだ。
雲は低く重くたれこみ、山陰の空のよう。
その西空の一画を鈍い刃で切り込んだごとく、上空の蒼いそらを楔形にひらき、茜雲をのぞかせた。
一瞬、水面とS病院が光のなかにかがやいた。
とんび歳時記ー師走のプランター3
2015年12月18日 趣味
ムラサキカタバミ
初めて見たのが数年前、半田山植物園の池の畔りで、あざやかなピンク色の草花にしては大きく見栄えのする花冠を一株にたくさんつけていた。次の年に写真を撮りにいくとあとかたもなく消えていて、山腹の斜度にある水仙の群れにあがるとここにあった。移植されていたのである。
今こそ、家庭の花壇や玄関わきの置き鉢に植えられて観賞花にされているのを多く見受けるようになった。山野にある自然のカタバミというのは白花が定番で花冠も葉も小さいイメージだったので、いささか意外性にたじろいだものだった。
葉はハ-ト形の3片で特徴があり夜は花を閉じる。
繁生がつよく年を経るにつれ近隣の鉢に種子が飛散して子孫を増やすようだ。手入れしなくても大丈夫、ものぐさなわたしでにも目をたのしましてくれている。
花の少ない、冬の華だ。
画像はイチゴの中に平然と咲くムラサキカバミ。
初めて見たのが数年前、半田山植物園の池の畔りで、あざやかなピンク色の草花にしては大きく見栄えのする花冠を一株にたくさんつけていた。次の年に写真を撮りにいくとあとかたもなく消えていて、山腹の斜度にある水仙の群れにあがるとここにあった。移植されていたのである。
今こそ、家庭の花壇や玄関わきの置き鉢に植えられて観賞花にされているのを多く見受けるようになった。山野にある自然のカタバミというのは白花が定番で花冠も葉も小さいイメージだったので、いささか意外性にたじろいだものだった。
葉はハ-ト形の3片で特徴があり夜は花を閉じる。
繁生がつよく年を経るにつれ近隣の鉢に種子が飛散して子孫を増やすようだ。手入れしなくても大丈夫、ものぐさなわたしでにも目をたのしましてくれている。
花の少ない、冬の華だ。
画像はイチゴの中に平然と咲くムラサキカバミ。
とんび歳時記ー師走のプランター2
2015年12月17日 趣味
ナデシコ・撫子
ナデシコ科の種類は多岐にわたっている。
山野で馴染み深いのが川原撫子、山歩きしていると群生はいざしらず孤高の風情で咲いているので、その可憐さ優美さに疲れがいささか癒される。名前の通り川原にあったものがいつのまにか丘陵にまで及んでいる様相である。
画像のナデシコは市販されているもなのでバイオ改良のなせるわざだと思う。
この先降霜が続いたら萎れるだろう。
ナデシコ科の種類は多岐にわたっている。
山野で馴染み深いのが川原撫子、山歩きしていると群生はいざしらず孤高の風情で咲いているので、その可憐さ優美さに疲れがいささか癒される。名前の通り川原にあったものがいつのまにか丘陵にまで及んでいる様相である。
画像のナデシコは市販されているもなのでバイオ改良のなせるわざだと思う。
この先降霜が続いたら萎れるだろう。
とんび歳時記ー師走のプランター1
2015年12月15日 趣味
今年の師走は温度計の落差が大きい。朝まだきと日没事は上着の重ねが欲しいと思えば日中は一枚脱ぐほどの温かさをおぼえる。関東ではワイシャツ姿で街頭を歩くし、梅園の梅は開花をもたらし白菜農家は嘆くばかり。おもてがあればうらもあるのは分かるが、それに連れてもリズムの異変は生活の狂いをもたらす。
プランターに植えているイチゴが、ハウスやトンネル栽培でもなく露天なのに花を咲かせ実をつけて紅く熟れようとしている。傍らのブルーベリーに3粒ほどが熟れこれは摘みとって口にいれた。早熟は温暖のなせるわざか。
もっともこの17日には本来の冬将軍が攻めてくるらしい。さてどんな現象をよぶだろうか。
プランターに植えているイチゴが、ハウスやトンネル栽培でもなく露天なのに花を咲かせ実をつけて紅く熟れようとしている。傍らのブルーベリーに3粒ほどが熟れこれは摘みとって口にいれた。早熟は温暖のなせるわざか。
もっともこの17日には本来の冬将軍が攻めてくるらしい。さてどんな現象をよぶだろうか。
とんび歳時記ー岡山県立博物館
2015年12月14日 趣味
屋内からガラス窓を透かして外景をみるといつもの風景とはちがって映る。
窓枠のもっている魔力とでもいうべきか、魅惑的な雰囲気を演出する。
この日は古代土器の展示開催をしていた。興味ある分野でもあって、腰がおもたくなるまで観てまわった。
窓枠のもっている魔力とでもいうべきか、魅惑的な雰囲気を演出する。
この日は古代土器の展示開催をしていた。興味ある分野でもあって、腰がおもたくなるまで観てまわった。
とんび歳時記ーさくらにも種々あり
2015年12月10日 趣味
淡いピンクを透かして日を浴び、寒気に撫でられて斑に咲き、なんともたよりなげな風情をみせる四季桜、五弁で単重の花は関心がなくては存在しない。
海をのぞみ、ひっそり咲き、寒さに愛でる人はすくなくて足早に通りすぎていくのみだ。
真庭の普門寺には門前に数株あって周囲の紅葉とのコラボレーションはちょっとした見ものになっている。離れていると紅葉にとけこまれて存在感はないが、茶屋の新蕎麦をあじわいながら全景にひたると浮世を忘れる。
海をのぞみ、ひっそり咲き、寒さに愛でる人はすくなくて足早に通りすぎていくのみだ。
真庭の普門寺には門前に数株あって周囲の紅葉とのコラボレーションはちょっとした見ものになっている。離れていると紅葉にとけこまれて存在感はないが、茶屋の新蕎麦をあじわいながら全景にひたると浮世を忘れる。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり18・水辺の吹奏
2015年11月28日 趣味とんび歳時記ー百閒川のいろどり17・操山に初冠雪
2015年11月27日 趣味
昨夜来朝日がのぼっても、寒いというより冷えこみがきつかった。
北西風は襟元を吹きぬけ手足がかじかんだ。この冬一番だろう。
操山連峰は安曇野から眺める北アルプスのように澄んだ空に高峰をつらねて頂に白銀をかぶっていた?・・・というのは実は虚構、白雲が稜線を覆ってあたかも冠雪の様子をかもしだしていたのである。
(連結)
北西風は襟元を吹きぬけ手足がかじかんだ。この冬一番だろう。
操山連峰は安曇野から眺める北アルプスのように澄んだ空に高峰をつらねて頂に白銀をかぶっていた?・・・というのは実は虚構、白雲が稜線を覆ってあたかも冠雪の様子をかもしだしていたのである。
(連結)
とんび歳時記ー百閒川のいろどり16・夢の空間
2015年11月25日 趣味とんび歳時記ー百閒川のいろどり15・薄暮の散策
2015年11月25日 趣味
西日になってあかね空になると、たちまち薄暗くなり河川敷から堤防の遊歩道をたどるうちに足元が見えにくくなるほどだ。
学生や勤人の帰宅を急ぐ自転車と行き交う。ほどなくパラパラと散策の影が現れては闇に消えていく。
愛犬はあっちこっちと路肩の草むらに匂いを嗅いで歩くので、当方の歩みはまことに遅い。引っ張るのはかわいそうなので犬に合していたら、まったくもって墨つぼに溶けてしまうのである。
学生や勤人の帰宅を急ぐ自転車と行き交う。ほどなくパラパラと散策の影が現れては闇に消えていく。
愛犬はあっちこっちと路肩の草むらに匂いを嗅いで歩くので、当方の歩みはまことに遅い。引っ張るのはかわいそうなので犬に合していたら、まったくもって墨つぼに溶けてしまうのである。
とんび歳時記ー百閒川のいろどり14・黒の軍団
2015年11月24日 趣味
ハシブト、ハシホソもいりまじった烏の一個小隊が落ちている稲穂を一心に穿っている。薄暮のなかで黒装束のかたまりは異様な雰囲気を醸しだす。通過する車などに驚く手合いではない。さすが、犬に吠えられて追いまわされるとパニックになって四方八方に飛び立つ。だがそのうちの一、二羽が急旋回で急降下し犬に襲いかかるか想定外の闘争心に遭って、たまらず犬は尻尾をまいて逃走した。
軍団は平然と穿りの行動に舞い戻った。
軍団は平然と穿りの行動に舞い戻った。
とんび歳時記ー故郷の景色1
2015年11月22日 趣味
母校のうつろい・小学校
小学校の校舎も時代の編纂でずいぶん変わった。学び育った木造の灰色かかった建物はいまや赤色の屋根とクリーム色にかがやいていた。
プールなどなかったが今は防火水もかねて満々と光っている。
敷地内の構造は一新していたが外郭の規模は昔日の区画のままだ。
校庭に美味しい実をつけていた李の大樹をなぜか想いだす。
薪を背負って本を読み歩きする二宮尊徳の像があったなあ。
授業の時間にユーゴーの「あゝ無情」を読んで聞かせてくれた先生がいたなあ、
あの先生はお元気なのだろうか。
小学校の校舎も時代の編纂でずいぶん変わった。学び育った木造の灰色かかった建物はいまや赤色の屋根とクリーム色にかがやいていた。
プールなどなかったが今は防火水もかねて満々と光っている。
敷地内の構造は一新していたが外郭の規模は昔日の区画のままだ。
校庭に美味しい実をつけていた李の大樹をなぜか想いだす。
薪を背負って本を読み歩きする二宮尊徳の像があったなあ。
授業の時間にユーゴーの「あゝ無情」を読んで聞かせてくれた先生がいたなあ、
あの先生はお元気なのだろうか。
とんび歳時記ー菊薫る2
2015年11月17日 趣味
近所に菊つくりの愛好家がおられ、ときおり拝見していると年中手をいれて暇なしのようにみえる。土作り、芽の保存、育成のコントロール、病害虫の駆除、姿形の整形、鉢が多ければ多いほど手数は自ずと繁多になる。
よほど辛抱と熱意がなけねば絵に描いたような花にはならないようだ。
その執着には敬服に値する。
よほど辛抱と熱意がなけねば絵に描いたような花にはならないようだ。
その執着には敬服に値する。
とんび歳時記ー菊薫る1
2015年11月14日 趣味とんび歳時記ー旭川のいろどり9
2015年11月12日 趣味
岡山城天主閣の鯱鉾
今の城閣形態は宇喜多秀家に踏襲されて完成した。直家は石山を拠点したが、織田信長の中国制覇で来岡した羽柴秀吉の指図で隣の岡山に城閣を移したことが構築の要因である。そのさい自然に逆らって旭川を城へ曲屈させたため、洪水のさい幾度も堤防が決壊し城下町に災害をもたらしたそうで、後世池田時代に逃がし水の百閒川を開拓したようだ。
備前平野に鯱鉾の屋根が燦然とかがやいたことだろう。
今の城閣形態は宇喜多秀家に踏襲されて完成した。直家は石山を拠点したが、織田信長の中国制覇で来岡した羽柴秀吉の指図で隣の岡山に城閣を移したことが構築の要因である。そのさい自然に逆らって旭川を城へ曲屈させたため、洪水のさい幾度も堤防が決壊し城下町に災害をもたらしたそうで、後世池田時代に逃がし水の百閒川を開拓したようだ。
備前平野に鯱鉾の屋根が燦然とかがやいたことだろう。
とんび歳時記ー旭川のいろどり8
2015年11月11日 趣味
岡山城の石垣と赤石。
石積。
内堀堤防の一画に野面積石垣が土をけずられて不自然にあらわれている。発掘したものなら好事家の推量で宇喜多時代の築堤石垣かもしれない。書院跡の地に宇喜多時代の石囲いが発掘保存されたいるがその石様や積み方が双方類似していて、同時代の施工のようなきがする。発掘途中の様子なので時をおいてまたきてみよう。
赤石。
大納戸櫓下の角に赤石が混じって積まれている。周囲の石に比べ異彩をはなっていておそらく元から積まれたものではなく、昭和の戦災をくぐってきて変色したものではないか。
石積。
内堀堤防の一画に野面積石垣が土をけずられて不自然にあらわれている。発掘したものなら好事家の推量で宇喜多時代の築堤石垣かもしれない。書院跡の地に宇喜多時代の石囲いが発掘保存されたいるがその石様や積み方が双方類似していて、同時代の施工のようなきがする。発掘途中の様子なので時をおいてまたきてみよう。
赤石。
大納戸櫓下の角に赤石が混じって積まれている。周囲の石に比べ異彩をはなっていておそらく元から積まれたものではなく、昭和の戦災をくぐってきて変色したものではないか。
とんび歳時記ー旭川のいろどり7
2015年11月9日 趣味
岡山城
織豊の戦国時代、天神山・石山・岡山の三丘が点在していた地に、金川城主松田元輝の家臣、金光宗高氏が石山に城をかまえていた。沼城の宇喜多直家とは松田氏の姻戚でもあり当人同士は碁敵の親交があったのだが、碁打ちのその最中に意に含むところのあった直家に謀殺され石山を奪われて領主金光氏はこれで没落した。
宇喜多直家は東の斎藤道三とならび下剋上をいとわず謀殺に謀殺をかさねて名をなした人物、生涯戦らしい戦をしたのは成羽城主三村氏との明禅寺の戦いぐらいもんで他は暗殺謀略だらけと言われているから、相当の梟雄であったのは間違いではない。もっとも、こういう手段も戦国の戦略の裡と評価されているので後世の尺度で悪人とはいちがいに評するわけにはいかない。
譜代はじめ家臣団を大事に扱い、岡山城下の基盤をつくった直家である。
織豊の戦国時代、天神山・石山・岡山の三丘が点在していた地に、金川城主松田元輝の家臣、金光宗高氏が石山に城をかまえていた。沼城の宇喜多直家とは松田氏の姻戚でもあり当人同士は碁敵の親交があったのだが、碁打ちのその最中に意に含むところのあった直家に謀殺され石山を奪われて領主金光氏はこれで没落した。
宇喜多直家は東の斎藤道三とならび下剋上をいとわず謀殺に謀殺をかさねて名をなした人物、生涯戦らしい戦をしたのは成羽城主三村氏との明禅寺の戦いぐらいもんで他は暗殺謀略だらけと言われているから、相当の梟雄であったのは間違いではない。もっとも、こういう手段も戦国の戦略の裡と評価されているので後世の尺度で悪人とはいちがいに評するわけにはいかない。
譜代はじめ家臣団を大事に扱い、岡山城下の基盤をつくった直家である。