2017年1月2日 趣味



 
古寺素描20-紅しぐれ14-井山宝福禅寺-14 (完)
 三重塔

 朱色の塔は紅葉に溶けこそすれ、古色に馴染んだ伽藍や緑陰につつみこまれると一際華美にして映える。
 県下の三重塔といえばこの宝福寺と美作の長福寺(真言宗)が朱色の塔として私の記憶の中をよぎる。
 幾多の戦乱の歴史を潜って平成の世に逞しく立脚している。
 連節の巻末にふさわしい造形美である。
古寺素描11-紅しぐれ5ー井山宝福禅寺5
古寺素描11-紅しぐれ5ー井山宝福禅寺5
古寺素描11-紅しぐれ5ー井山宝福禅寺5
 門前に立ち、石段の途中で見上げると禅宗の威感がある。
 山門と仏殿、三重塔が直線上に建立され、庫裏、方丈、禅堂も位置を違え直線上にならんで建っている。この様式は禅宗の習いだそうだ。

 画像上:山門
 画像中:池畔
 画像下:仏殿 
百閒川のいろどり54ー荒手「越流堤」6(完)
百閒川のいろどり54ー荒手「越流堤」6(完)
 「二の荒手」
 竹田ー中島橋のすぐ下手に改修した新しい巻石積の越流堤がある。今年の春先には新石の輝きをみせていた堤も日捲りの風光に染まって褪せた色合になったし、葛とか強靭な草がはびこり堤の存在をつつみこんできた。工事以前がそうであったように、日を待たないうちに外観上自然のなかへ没してしまうだろうと残念である。治水上の歴史的構造物なるがゆえに堤付近(一の荒手も含めて)に説明板を設置して有処を明示した方がいいのではないか、などと勝手な想いをする。
 百閒川の名の依りは「二の荒手」の川幅が百閒(180m余)あったところから付けられたようだ。

 荒手の下手に中島大池があって、東岸を歩くとそのよすがを偲ばせる溜りがある。ここも砂泥を川床に堆積させ、下流へ放つ水を調整をもたせ河川敷きにあった田畑を防護した運河なのである。

 いずれにしても水の便宜で生活する人間社会の災禍であったり、なればこそ秀逸した工夫で幸せを呼び込む人材、歴史を刻み続けるのだ。

 画像上:二の荒手
 画像下:旭川・百閒川堤防
     旧「一の荒手」、痕跡は無い 
里山のいろどり16-山羊牧場3
里山のいろどり16-山羊牧場3
里山のいろどり16-山羊牧場3
 やぎさんは食事中かおひるねの時間
 うさぎさんもろばさんもいて、いつも口をうごかしている
 のどがかわいてわたしもソフトたべちゃった
里山のいろどり1ー牡丹1
 虫明・黒井山牡丹園

 中国原産の落葉低木、接木で増殖すのが定番でつぎきの台木になるのが芍薬の株、芍薬とこんがる人もいるが芍薬は草に分類される。ちなみに芍薬は漢方で有名、牡丹の根皮も消炎・吐血・鎮痛に有効というのは相似ている。
 8世紀には日本で栽培されていたそうで、明治期に改良をかさね大輪の見応えする多くの品種が出現した。
 どちらかというと湿度を嫌うようで日当たりのいい乾燥土を好み、雨天には花輪に唐傘をかけてやったり、藁屋根で覆って保護している写真絵画をよくみかける。それだけに、ものぐさ者にはちょっと厄介な植物だと、個人的には思っているものの、鑑賞する分には豪華絢爛のきわみをおおいに堪能している。
 入山入園料:500園 4月一杯で閉園と聞いている。
 4月26日に入園したのだが峠をこえて花片に窶れがめだっていた。株数:1200本
 ブログではしばらく牡丹を掲載する予定、ただし、品種名は夥種類でメモを途中であきらめたため不詳。

万歳時記ー吉備高原2・山野草2
万歳時記ー吉備高原2・山野草2
 セツブンソウ2

 中国地方の土質の多くは石灰岩で、長年の風化水浸により砕けては溶解をくりかえして奇形台地を形成してきた。結果的に現れたのは石灰岩塊に大小さまざまな洞穴を穿ち名のある鍾乳洞になって各所へ残ることになった。
 そのような石灰養分をキンポウゲ科の植物はとりわけ好物にしているようだ。その象徴植生がセツブンソウである。
万歳時記ー吉備高原1・山野草1
万歳時記ー吉備高原1・山野草1
 セツブンソウ

 節分の頃に開花するのでこの名がついたようだ。寒さにめっぽう強くて、大霜とか薄雪をなんのその、きれこみの深い葉を地上にのばして気温が高くなる午後に白い可憐な花を開く。曇天や雨天にはきまぐれはともかく、キンポウゲ科特有の性癖で唐傘を閉じたような状態でかたまり、待てどくらせどとてもじゃあないが愛想をしてくれない花だ。

 石灰岩質の山裾でやや傾斜のあるガラ地を好み、栗林や梅林、さては手入れのとどく墓地周辺では碁石を撒いたように繁生し、記憶を開陳すれば北面に多いように思う。また、四国ではみられないそうで瀬戸大橋を渡橋してわざわざ観賞にこられると聞く。
 
 山野草愛好家はこの開花を聞くといてもたってもいられなくてそわそわする。
万歳時記ー旭川のいろどり32・半田山6
万歳時記ー旭川のいろどり32・半田山6
万歳時記ー旭川のいろどり32・半田山6
 束の間の日光浴

 春の日射しはありがたい。
 園のはずれで猫は日光浴し、管理棟を見おろす高台は春の匂いを膨らました風が撫でていく。
 高層ビルが目立つようになった備前平野の市街は春薫の風が流れて穏やかに光っていた。

 はてさて、来週は西日本に何度めかの寒波が襲ってってくるようだ。

 あわせて春一番の風も吹くとか、この国の、正体のわからぬ経済を象徴した乱高下の余波だろうか。
万歳時記ー旭川のいろどり31・半田山6
万歳時記ー旭川のいろどり31・半田山6
万歳時記ー旭川のいろどり31・半田山6
 梅花立春
 
 春一番に咲く花といえば、山野草ならまず節分草、木片では梅の花が穏当なところ。
 
 息つきながら丘陵をのぼっていくと不機嫌な天候のなか梅林が点在しておもいがけず白梅がほほえんでくれた。
 ほんわかした温もりをおぼえる花である。  
万歳時記ー旭川のいろどり30・半田山5
万歳時記ー旭川のいろどり30・半田山5
万歳時記ー旭川のいろどり30・半田山5
 樹々面妖

 園内に3200種、15万本の樹木があるといわれる。
 老木もあれ若木もある。
 老木は桜、若木は花木という見分けの方も一理ある。
 古木の一幹が裂けて折れ、そこからキノコが繁生して異質の顔をなし、華やかな紅梅が古木の幹を借りて誇り、高山の森林限界の枝のように一方向に傾斜していたりして、妖しげな様態を演出をしている。
 生けることは不思議で二態とない。

万歳時記ー旭川のいろどり30・半田山7
万歳時記ー旭川のいろどり30・半田山7
万歳時記ー旭川のいろどり30・半田山7
 一本松古墳

 11万㎡に及ぶ園地はほぼ丘陵地で、頂上には前方後円墳がある。第二次大戦のさい此処へ高射砲をすえたとかで大きな穴があったりして、古墳の呈をなしていない。高札がなかったら小高い土盛りの痕跡ぐらいにしかおもえないのだが、そこへ立つとなるほど此処は頂上なのだと実感はできる。とくに前方部分は土砂がながれ崩れて築墳のよすがもない。春うらら毛氈を敷いて桜を愛でつつ幕の内をほうばったら、さぞかし旨かろうとは、思い描いた。

 しかしこんな立地に高射砲を設置すなどとは、どんな戦略だったのだろうか、そっちに興味がわいた。
万歳時記ー旭川のいろどり29・煙たつ5
万歳時記ー旭川のいろどり29・煙たつ5
 後楽園芝焼

 庭園はほぼ焼き終わり、唯心山の周りに賑わいが移ると、今までの空間はただ黒い絨毯のようにひろがり、潮がひくように誰もいなくなった。
 その景観は旧いものが滅び新しい生命を育てる交替の舞台である。
 2016年の春がやってくる。

万歳時記ー旭川のいろどり28・煙立つ4
万歳時記ー旭川のいろどり28・煙立つ4
万歳時記ー旭川のいろどり28・煙立つ4
 後楽園芝焼

 人は、煙りなどというと退避の声をあげて右往左往する、当然のことだ。ところが春を告げる行事となれば、なにやら有難さと珍しさで猛猛あがる煙にかけよってくる、舐めて奔る炎が人を誘引しているようで滑稽でもある。平和なのだ。 

万歳時記ー旭川のいろどり27・煙立つ3
万歳時記ー旭川のいろどり27・煙立つ3
万歳時記ー旭川のいろどり27・煙立つ3
 岡山後楽園芝焼き

 煙幕の向こうにいろんな人が透かしてみえる。そのほとんどの人は真剣な様子でカメラをかまえている。角度を変えてシャッターをきりたい衝動で狭い園遊路をうろうろされるのは、大いに迷惑だし他人にも同じ思いをあたえる。少々窮屈に肩をそばめ、煙にまかれても良し、寧ろ通常とちがうスクリーンになるのが面白い。
 

 
万歳時記ー旭川のいろどり26・煙立つ2
万歳時記ー旭川のいろどり26・煙立つ2
万歳時記ー旭川のいろどり26・煙立つ2
 岡山後楽園芝焼き

 枯れ芝にひそむ病害虫を駆除して、若芽を育み新葉をそろえるのに枯草を焼く作業は古来から行われている。
 若葉山、秋吉台、各地の放牧場では春先に野焼きの煙がたちのぼる。自然が一衣を脱ぐふくらみを感じるものだ。
 後楽園の芝焼きも同じこと。
 あたたかさを待ちわびている者は煙に触れたら、凝った肩がほぐれるような思いをさせてくれる行事だ。 

 
万歳時記ー旭川のいろどり25・煙立つ1
万歳時記ー旭川のいろどり25・煙立つ1
万歳時記ー旭川のいろどり25・煙立つ1
 岡山後楽園芝焼き

 暦の上では春をつげる節分の日、一年の節目としての恒例の行事。
 わんさとカメラマンがおしかけ特有の雰囲気を醸し出した。よくもこんなに集まるもんだと呟いたが、自分もその一人だった。
 
  

万歳時記ー旭川のいろどり24・半田山6
万歳時記ー旭川のいろどり24・半田山6
 椿二態

 椿は種類の多い花木。家庭の庭にも植栽されるが、散るときに花弁が舞い散らずに花冠ごとポトリとおちるのが人間の想いにそぐわず、忌み嫌われて避ける向きもある。
 一枝を茶室に活ける趣情は利休にはじまるらしい。


 
万歳時記ー旭川のいろどり23・半田山の冬5
万歳時記ー旭川のいろどり23・半田山の冬5
 竹林春秋

 錦絵のような紅葉の時期、竹はまさしく[秋」ではない、「春」だ。
 膚に脂がよみがえり幹は太とぶとしく立脚し濃く繁った葉で池の水面を鳴らしながら邪気を払うように騒ぐのは、それは竹そのものが精気のさかりなのである。禅僧のあしもとに及ばぬ凡人ながらこそ、この季節竹やぶに向かうと自然の精気に圧倒されるのである。

 秋の竹は、季語でいうと「竹の春」なのである。
 筍を産み育て、養分をそそぎ暑い夏に耐えて、艶も照りも衰えた親竹は、本来の猛る映えをとりもどす季節が秋で,すなわち「春」なのだ。もっとも強い精気を大気に吐きだしている。

 ひるがえって、春は筍を地中に芽ぐみ養分をそそいでいるので幹は白々しく「竹の秋」という。
 もうすぐ竹藪は「秋」を迎える。

 半田山の竹林は東の鞍部に、椿園とよりそって展がっている。

  

万歳時記ー旭川のいろどり22・半田山の冬4
万歳時記ー旭川のいろどり22・半田山の冬4
万歳時記ー旭川のいろどり22・半田山の冬4
ソシンロウバイ

 和名で素心蝋梅と書く。花弁の一片一片が蝋細工の寄せ集めで美形をなし、陽に透かせば雅な香りが馥郁とし宮殿の奥のろうたけた妖艶をかもしだす。古来大和になかった大陸文化の重たさを感じさせる花だ。
 ロウバイよりソシンロウバイのほうがそのおもいをより深くさせてくれる。

1 2 3 4 5 6 7