旭川のいろどり43ー中原橋上の風景2
 竜之口山と川原

 この位置から見ると竜之口山が大きな山塊にみえる。
 戦国時代は金川を支配していた松田氏の属城で、頂上の竜之口城には重臣○○(さい所)元常がでばっていた。このものは名のうての男色家であってことのほか美童にめがなく、数人の側小姓をかかえていた、そうだ。
 伝わる話があって今に生きている。
 南の平野では宇喜多直家が勢力をのばしていて、その途上の竜之口城がどうも邪魔になったので攻略すことにした。こんもりした里山にみえても城のあるところは山深く、北面は急峻の崖が旭川におちこみ、手だしができずに、宇喜多忠家を将とする最初の軍勢は撤退してる。直家は得意とする謀計を案じ、臣下の者の美称息子・岡清三郎を、夜な夜な月のてる川原で涼涼笛をふかせ、城主元常がとりこみ側小姓にさせることに成功した。ある夜、清三郎は元常の寝首をかいて宇喜多陣営に帰還、直家の一計通りにはこび竜之口城を陥落させたのである。

 画像:伝承の山と川原
 
 
 
旭川のいろどり42ー中原橋上の風景1
旭川のいろどり42ー中原橋上の風景1
 都会の喧騒をぬけて川畔本来の田園風景がひろがってくるのは中原橋をこえてからだろう、川幅もゆったりした趣で中州の樹木は自然林の蒼が繁っている。
 左岸の堤防下は川上から運ばれてきた砂地が依ってできた畑作の一帯で、これに適した野菜作りがさかんなところだが、近年祇園用水とのあいだにある福祉施設が隆盛でその眺望をうばわれ脇役にかわってきた。この畑作は川下につづいてやがて中州にとりこまれて三野公園あたりまで伸長している。中原橋の川上は大原橋で牟佐の区域であるが、これまた広大な砂地の集積地だからニラやラッキョとかの生産が有名で、需要のたかい黄ニラも栽培されている。
 中原と大原の間を裂いて割りこんだように、竜之口山の丘陵が急峻な裾を強引に旭川の水面へ落とし込んでいた。
 右岸は、堤防を県道岡山ー吉井線の27号線が山陽町に向かってはしり、北側に頂上の円いおだやかな丘陵が稜線をみせている。 

 画像上:中原上流から
 画像下:右岸 宗谷山(頂上に私設公園がある)

 宗谷山公園にのぼってみると、備前平野の市街地が竜之口丘陵と三野丘陵によって鶴翼に望見でき、眼下には福祉施設旭川荘があって花火大会の観覧は見事である。

旭川のいろどり41ー半田山15
旭川のいろどり41ー半田山15
旭川のいろどり41ー半田山15
 異彩
 
 幾度なく半田山をあそび歩いているが、温室棟の内外に足を向けることは少ない。日本風土には相いれない植物で、余程のことがないかぎりこういう熱帯系の施設には最初から興味がなかった。
 今回は孫の同伴なのでひさしぶりに入った。扉をあけると湿度が高くて生温い空気が案の定つつみこんできた。

 
旭川のいろどり40-半田山14
旭川のいろどり40-半田山14
旭川のいろどり40-半田山14
 多肉植物

 刺刺をとってフライパンで焼いたらいかにも食べごたえするだろう、などと飛躍した想像したら下司の考えそうなことだと比喩されそうだ。いつだったか、ウチワサボテンの種類の表皮を剥いだのをテキのように焼いて興味本位で食べたことがある。美味であったかどうか定かな記憶がない、おぼえていないのは日本人の食味には程遠いものであったにちがいない。

 サボテンの種類は多いし、花の色と形も豊富で和の愛でる領域とは明らかに異次元のものである。日本人が好む曖昧なゾーンはいっさいなくて、原色異形をつらぬいている。そのあでやかさ極彩は見事で、あたかもラテン音楽のリズムでダンスを観賞している昂揚がある。
 
旭川のいろどり39ー半田山13
旭川のいろどり39ー半田山13
 花と人との出逢いーユキヤナギ

 和名は雪柳。
 白い小花を連続して傘状についたのを雪にたとえられ、同時にでてくる葉が柳の葉に似ているのでユキヤナギの名をつけられた落葉小低木。
 関東地方の岩上に自生していたものを観賞植物としてとりこまれてから、家庭の庭に、あるいは公園などに植生され小さい傘状白花が連なっての房は、垂れさがり、目をあざむくほどのその白さは遭遇した者に楽しませてくれる。
 ただ上記の樹形だから、境界線に植えておもわぬトラブルを起こしているのを見聞しているので気をつけたい。

 画像上:母子園遊
 画像上:スケッチの一刻
旭川のいろどり38-半田山12
旭川のいろどり38-半田山12
旭川のいろどり38-半田山12
  春の花ーコブシ ハクモクレン

 どちらもモクレン科で落葉高木。文字どうりこぶしほどの白い花を小枝の先につけるのが特徴。特有の香気をもっている。 
 私の記憶では和気、奥津の山に多く自生していた。蒼芽のそろわない落葉樹の峰に春の薫風をかいで感にいたったのを思い浮かべた。
旭川のいろどり37ー半田山11
旭川のいろどり37ー半田山11
旭川のいろどり37ー半田山11
 春の花ーサンシュユ

 ミズキ科の薬用植物。
 朝鮮半島や中国の原産、薬用といわれながら庭園や公園に植栽されて観賞用に供されている。
 花をよくみるとマンサクの形に似て黄色の小さなものを散形花序に成している。
 日本人には語尾が発音しにくいので、単にサンシュで納得している。
旭川のいろどり36-半田山10
 さくらを愛でる2

 十数種におよぶ国民的な観賞花木。バラ科の木で大きくなる代表植物で国花として愛好されている。奈良時代に栽培されはじめ庭園や集落周辺にとりこまれたようだ。ひな祭りやめでたい時の床間の掛軸にみられるのは承知のことだ。
 江戸時代には種類の研究がさかんになり現在の基礎を構築した。
 開花がほぼ10日前後で、天日の関係で短くなる期間なのがあまりに惜しい気がする。しかし日本人の感覚でいえば散り際のいさぎよさ、散りそぼる花弁の吹雪、小川の背に流れる花筏の哀雅的な情緒は歌心の弦を弾くらしい。

 時代の有様で、そのような心琴は吹き飛んで今や賑やかな屋外宴会で定着し、煙と臭気が充満した桜下に推移している。半田山の頂上に近接した広場では学生の車座から嬌声が頭上の桜花をけむにまいている。
 それはそれでコミニュケーションであろう。 
 
旭川のいろどり35-半田山 9
旭川のいろどり35-半田山 9
 さくらを愛でる1

 照る日曇る日、そして肌寒い雨のふる日、さらに執つこくいうとクシャミがでるわ、鼻孔が無性にむずむずして痒いわ、あげく鼻をかみすぎて鼻の頭が赤くなるわ・・・、三寒四温とはよくぞいったもの、かてて花粉症がくわわればひどいことになる。
 屋内退避でうずくまっている分にかぎるが、温かい日差しが窓際にさしこんでくれば、凝っとしていられない、車を駆って外出したくなるのである。

 3月終節、春日和の陽をあびる中を、息子と孫二人が半田山へいくというので二つ返辞で随いていった。半田山写真クラブという会があって、会員の知人が出展されているので展示室へおもむき「ユキワリイチゲ」の迫力ある作品を鑑賞して、園内は西の遊歩道を歩く。
 ロウバイやマンサク、スイセンなどは冬終節の花類、すっかり花弁を散らし、コブシ、ハクモクレン、ユキヤナギ、多種の桜花が空間を白くそめあげ、そのなかにあってサンシュの大木が黄金色の存在をもりあげている。まさしく花回廊の雰囲気をかもしだしていた。
 孫たちは可愛い昆虫のように跳ねている。
 半田山は坂道だらけの園地である。大きくてさも体力あり気な大人が鞴のように息急いて、幼い子供が平地のように坂道をかけまわれるのは、単に身が軽いだけなのであろうか。

 

 
万歳時記ー百閒川のいろどり25・水脈の音
 西大寺の裸祭りは過日終わった。
 後楽園の菰焼きは今日終わった。 
 だけど水はぬるまづ手をきるような冷たさ、枯草をせぎって刃をたてて流れている。
 春よこい、早くこい、頬にあたる風をあたたくしておくれ、ふくらんだ水音をきかせておくれ。
万歳時記ー旭川のいろどり34・半田山8
 白梅に春がわたる

 古代から日本人は白色に思いをこめていて、曰く清潔 清廉 潔白 純潔 清純 可憐 素など世俗の垢に染まらないイメージを重ねて憧れ敬ってきた。
 やがて、風がわたってきて花弁を散らすと、春のうごきが時計の針をすすめるようにやってきて色を染めにくる。 
万歳時記ー旭川のいろどり33・半田山7
 赤レンガ
 (旧配水池)

 自然の蒸れる景観のなかでこの色は異彩を放つ、そして特別のモニュメントのようで遊園のポイントになっている。
 新配水池は一段上の園地に設置されていて、円形の壁はやはり赤レンガで築造されている。
 
瀬戸内のいろどり1ー一本松公園4・海への回流1
 霞んで浮かぶ小豆島をながめて、船外機の小舟を南の浜で錨をおろし鰈をたくさん釣ったことがある。
 ポンポンと音をたてる焼玉エンジンの舟はいまやみあたらない。小舟はみずすましのように潮を掻いてポイントを移動していき、投てきした竿先がしなり糸ふけになると手のひらサイズの鰈が踊った。祝杯のビールを飲み釣り人は踊ったものだった。

 招かれてヨットに乗り、瀬戸本流の流れにのみこまれ、逃れようとしたらエンジンがエンスト、おりから無風状態、懐中電池の光輪のなかで機関修理しても無為復帰の音がしない、墨つぼを流したような暗闇のなかで川のような流れのなすがまま、マストの帆を下ろしランプの灯をかわりに括り他船との衝突回避、救難を合図したが闇を裂いて現れるものはまるで皆無、。暗澹たる思いがよぎり、漂流の気分に陥った。流れ流されて、下津井あたりでようやく漁船に出合い、港まで曳航してもらい命拾いしたものだった。

 夜釣りで無人島の磯にあがって、夜半巻き上げた針に派手なメバルが跳ねていたので手づかみしたら、痛烈な刺し痛みが走った。メバルならぬ背鰭に毒針をもつカサゴだった。無人の岩礁の上で釣りどころかひたすら痛みに耐えて蹲り夜明けを待つ身になった。


 小豆島の遠景をみながら、脈絡のないおもいが涌いてきたものである。

瀬戸内のいろどり2一本松公園2・紅い撓り
瀬戸内のいろどり2一本松公園2・紅い撓り
 潮風がなでていくこの丘には、ビラカンサが2本あった。陽がかたむくけば建物の日陰になる一本と、周囲になにもない草地にさんざんと光りを浴びつづける一本と。
 初冬には紅く熟れた実を枝先までたわわにつけて、その豊かさに枝が折れんばかりに撓るのである。啄ばむ頃合いを知っている野鳥の群れが飛び交って賑やかな楽園の様相を呈しているのは日陰の方で、草地の一本には一羽もよりつかない。
 どういう理由でかわからないが、楽園の木だけは伐採されてしまっていた。
 さぞかし、主のメジロたちは困っているだろう。
 だからといって草地の木には飛び移ってもいない。
 無碍にされていた草地の木は寂しくも、陽光をますます浴びて盛んになりわが世を謳歌しているようにみえ、紅く輝いて海にむかっていた。
 自然の摂理を考えれば複雑なものだ。
 





瀬戸内のいろどり3一本松公園3・瀬戸を讃う
瀬戸内のいろどり3一本松公園3・瀬戸を讃う
 瀬戸内海の多島美は温暖な気候につつまれて古代・中世・近世にまたがり、和歌に俳句、詩あるいは小説の名歌名分に謳われているのは事実、かたや歴史上の変遷をたどれば著しく華やかに隆盛そして散華をのこしている。
 あらあらしい外海の風土は牙を剥くが、内海は円いロマンが満ちている。
瀬戸内のいろどり4一本松公園4・冬の遊園地
 一本松遊園地。

 冬に入ったせいかしら、ちびっこの姿がみえない。
 灰色になじんだ空にかすんだ海。
 寂しさも侘しさもただよう。
 道の駅で買い物をすませてのぞくと、嬌声をあげているちびっこの声が聞こえ、ミニ蒸気機関車の気笛が孤りひびき蒸気の煙が木立の合間にのぼった。

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