古寺素描55-薬師寺⑥(完)ー鐘楼・東塔
2017年10月1日 エッセイ
食堂伽藍を出ていくと東側の広場に鐘楼がある。これを観てびっくりした。
各寺院を徘徊していて大抵何らかの伽藍とか門、あるいは樹木の陰、高台になった処などに吊られサビワビを晒すがごとくに建立されているのを観てきた。寂陰を一身に背負い立つ伽藍にどこにもある安穏をおぼえるのだ。謂れある銘を刻したした名鐘も普段は脇役であるが夕映えの平野になり渡るとき、晦日に殷賑と音が凍てつくときにはとてつもない主役の存在になる。
ところが薬師寺の鐘楼は平地(薬師寺の伽藍はすべて平地建立)にあって、しかも四面あっけらんかんと開放されている。それはそれなりに史実を想像するが自分の未詳ゆえこれ以上のことはない。
ただし周囲をハスの鉢植えに囲まれ仰ぎ見られている。
塔は本来お釈迦様のお墓だ。もともと梵語の「ストゥーパ」が卒塔婆[そとうば]となり、それが塔婆、更には塔と表現され、お釈迦様のご遺骨(仏舎利[ぶっしゃり])を埋葬して盛り土をしたものが。その塔婆を遠くからでも拝めるように、台上にお祀りしたのが三重塔、五重塔のはじまりだ。
薬師寺東塔は一見六重に見えるが、実は三重の塔、西塔と同じだ。各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをみせている。
薬師寺で唯一創建当時より現存している建物で、1300年の時を重ねてきた歴史の美しさである。解体修理のため残念ながら、現在は覆屋に覆われておりその姿をみることができない。(平成32年の6月頃に修理完成予定)。
画像上:鐘楼
画像下:修復工事前の東塔
各寺院を徘徊していて大抵何らかの伽藍とか門、あるいは樹木の陰、高台になった処などに吊られサビワビを晒すがごとくに建立されているのを観てきた。寂陰を一身に背負い立つ伽藍にどこにもある安穏をおぼえるのだ。謂れある銘を刻したした名鐘も普段は脇役であるが夕映えの平野になり渡るとき、晦日に殷賑と音が凍てつくときにはとてつもない主役の存在になる。
ところが薬師寺の鐘楼は平地(薬師寺の伽藍はすべて平地建立)にあって、しかも四面あっけらんかんと開放されている。それはそれなりに史実を想像するが自分の未詳ゆえこれ以上のことはない。
ただし周囲をハスの鉢植えに囲まれ仰ぎ見られている。
塔は本来お釈迦様のお墓だ。もともと梵語の「ストゥーパ」が卒塔婆[そとうば]となり、それが塔婆、更には塔と表現され、お釈迦様のご遺骨(仏舎利[ぶっしゃり])を埋葬して盛り土をしたものが。その塔婆を遠くからでも拝めるように、台上にお祀りしたのが三重塔、五重塔のはじまりだ。
薬師寺東塔は一見六重に見えるが、実は三重の塔、西塔と同じだ。各層に裳階[もこし]と言われる小さい屋根があるためで、この大小の屋根の重なりが律動的な美しさをみせている。
薬師寺で唯一創建当時より現存している建物で、1300年の時を重ねてきた歴史の美しさである。解体修理のため残念ながら、現在は覆屋に覆われておりその姿をみることができない。(平成32年の6月頃に修理完成予定)。
画像上:鐘楼
画像下:修復工事前の東塔
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