古寺素描51-薬師寺②-平城京・奈良
古寺素描51-薬師寺②-平城京・奈良
古寺素描51-薬師寺②-平城京・奈良
 宗派は法相宗、同じ法相宗で朝廷に深く入り込んだ興福寺と並び、薬師寺は特定の檀家組織を持たないが、宗派の二大総本山となっている。宗派の教義は難解で知識未熟ではとても理解できない。一時代、管長の高田好胤師(故人)が伽藍再興の勧進でTVなどの説話でやさしく説いていたが根本はむつかしい。 
 
 1300年前の白鳳時代、時の皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して藤原京に創建したのが始まりで持統天皇を経て文武天皇の代に飛鳥の地にて堂宇が完成、さらに平城遷都(718・養老2年)で現在地に移されている。移転については、伽藍、仏像を全部そのまま移したという説と、寺院の名籍だけを移し伽藍や仏像は新しく造立したという論争が平成の今に続いている。前説なら東塔や薬師三尊像などは白鳳時代の作となり、後説では天平初期の作となるため、美術史学界を二分する重大な問題であろう。なにせ古代のできごとで蜜な記録や痕跡のないのが、学者や小説家の想像をかきたててやまないのである。
 金堂、講堂などを中心に、東塔と西塔の2つの三重塔を配する構成は独特なもので、薬師寺式伽藍配置と呼ばれていまる。この華麗な伽藍も数次の火災にあって次々と焼失し、創建当時の姿を残すのは東塔のみ。しかし、昭和51年(1976)金堂が、昭和56年(1981)には西塔が、その後中門、回廊、玄奘三蔵院伽藍が復原造営され、平成15年(2003)には大講堂も落慶し、今なお白鳳伽藍の復興を目指して再建中だ。

 画像上:金堂 西塔 東塔が描かれている。背景に若草山     の丘陵もある。
 画像中:薬師三尊
 画像下:本尊 薬師如来

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