古寺素描40-豊山長谷寺②ー奈良
2017年7月28日 エッセイ
創建から室町時代まで7回も焼失している。
本尊の十一面観音は天正7年に再興されているが、本堂の再建は天正16年豊臣秀長が着手するまでは空白というのが謎といえば謎である。江戸時代、徳川家光の寄進があって三度の本堂落慶がおこなわれ、今の姿に続いている。すべからず現在の建物は、創建以来からの重厚な歴史にあわづ災害の繰り返しや社会事情によって江戸、明治以降のもので比較的浅い。
境内の正面に回廊の石段がのびている。屋根で覆っているから多少涼しげに思えるが傾斜はきつい。
画像上:案内図板
画像下:下登廊
本尊の十一面観音は天正7年に再興されているが、本堂の再建は天正16年豊臣秀長が着手するまでは空白というのが謎といえば謎である。江戸時代、徳川家光の寄進があって三度の本堂落慶がおこなわれ、今の姿に続いている。すべからず現在の建物は、創建以来からの重厚な歴史にあわづ災害の繰り返しや社会事情によって江戸、明治以降のもので比較的浅い。
境内の正面に回廊の石段がのびている。屋根で覆っているから多少涼しげに思えるが傾斜はきつい。
画像上:案内図板
画像下:下登廊
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