古寺素描39ー豊山長谷寺①ー奈良
2017年7月24日 エッセイ
仁王門をくぐる前に、少し離れた処から初瀬街道をいだいた初瀬山の新録に埋もれた長谷寺を眺めると、中腹に散在している伽藍などの甍が雲間に照る陽光を浴びていて、その広大な境内を一望に観ることができる。
真言宗豊山派の総本山。十一面観音が本尊で日本有数の観音信仰の霊場であり、全国に長谷寺の名を持つ寺院が多くある。創建は奈良時代といわれているが諸説ふんぷんあって定説がない。いずれにしても寺伝に依るところが通説である。
朱鳥元年、天武天皇の病気平癒で僧道明が「銅板法華説相図」を西の岡に安置したことに始まり(本長谷寺)、下って神亀4年僧徳道が東の岡に伽藍を造営、十一面観音を祀った(後長谷寺)。その後、両寺がひとつになって現在の呼称に至る。平安時代に観音信仰の霊場に定まった。創建時は東大寺の茉寺だったが正暦元年に興福寺の茉寺になったことによって宇多天皇、藤原道長や息子頼道など時の権力の参詣がつづき平安貴族の長谷寺詣でになった。ことによって平安貴族との結びつきが濃くなった。ながれて室町時代は西国三十三所巡礼がはやり庶民の参詣が興隆、戦国時代は衰微し、桃山時代は豊臣秀長が再興し真義真言宗に改まった。さらに、江戸時代は長谷寺出身の僧隆光が護持院大僧正になったときに将軍徳川綱吉と生母桂昌院に「生類憐みの令」を薦めるなどして幕府の庇護をうけるようになる。さして、真言宗豊山派総本山になった。
かかる如く朝廷・武家のむすびつきで変遷の多い寺院である。権威=権力=宗教、の柵はここにもみてとれる。
平安貴族の著書、「枕草子」「源氏物語」「更科日記」の古典文学に登場している。
画像上:長谷寺全景
画像下:源氏物語に出てくる二本杉
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真言宗豊山派の総本山。十一面観音が本尊で日本有数の観音信仰の霊場であり、全国に長谷寺の名を持つ寺院が多くある。創建は奈良時代といわれているが諸説ふんぷんあって定説がない。いずれにしても寺伝に依るところが通説である。
朱鳥元年、天武天皇の病気平癒で僧道明が「銅板法華説相図」を西の岡に安置したことに始まり(本長谷寺)、下って神亀4年僧徳道が東の岡に伽藍を造営、十一面観音を祀った(後長谷寺)。その後、両寺がひとつになって現在の呼称に至る。平安時代に観音信仰の霊場に定まった。創建時は東大寺の茉寺だったが正暦元年に興福寺の茉寺になったことによって宇多天皇、藤原道長や息子頼道など時の権力の参詣がつづき平安貴族の長谷寺詣でになった。ことによって平安貴族との結びつきが濃くなった。ながれて室町時代は西国三十三所巡礼がはやり庶民の参詣が興隆、戦国時代は衰微し、桃山時代は豊臣秀長が再興し真義真言宗に改まった。さらに、江戸時代は長谷寺出身の僧隆光が護持院大僧正になったときに将軍徳川綱吉と生母桂昌院に「生類憐みの令」を薦めるなどして幕府の庇護をうけるようになる。さして、真言宗豊山派総本山になった。
かかる如く朝廷・武家のむすびつきで変遷の多い寺院である。権威=権力=宗教、の柵はここにもみてとれる。
平安貴族の著書、「枕草子」「源氏物語」「更科日記」の古典文学に登場している。
画像上:長谷寺全景
画像下:源氏物語に出てくる二本杉
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