古寺素描33-女人高野・室生寺②-奈良
2017年5月31日 エッセイ
真言宗の一派であるが、近年(昭和39年)真言宗室生寺派として独立、大本山になっている。創建からの由来は複雑で法相宗、真言宗、天台宗が入り混じった宗兼学の修練寺院だった。以下「歴史探訪クラブ」の資料を抜粋転記して史実を確認しぃておきたい。
「境内は鬱蒼とした山峡に不規則に堂宇が建ち並び、国宝・五重塔は日本最小の塔として優美な姿が喧伝されている。平安初期の金堂、鎌倉時代の本堂はともに国宝で、各堂には国宝、重文の仏像が安置されている。室生寺の四季は、早春の梅にはじまり、山桜、新緑、淡紅色の石楠花、夏の緑陰、秋になると紅葉、冬はあたり一面が雪に覆われ、訪れるたびに違う表情を見せる」
歴史
「奈良時代末期の宝亀年間(770~780)当時の皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、奈良興福寺の名僧らが室生山中で祈願し病を治したことから、後に天皇の命により、室生寺を創建し、弟子の秀円によって基礎が固められた。秀円の時代、高野山から空海の高弟真泰が、比叡山から天台僧円修が入山し、、、、平安時代中期以降、室生寺は興福寺の末寺でありながら真言密教が盛んに流入し、鎌倉時代末期には本堂や御影堂が建立されている。江戸時代に入り、元禄11年(1698年)、真言僧護持院隆光の力添え、五大将軍徳川綱吉の母・桂昌院の命により法相宗の興福寺から分離独立し、真義真言宗豊山派の寺院となった」
画像上:山門
画像中:境内石楠花の参道
画像下:山門の阿修羅像左
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「境内は鬱蒼とした山峡に不規則に堂宇が建ち並び、国宝・五重塔は日本最小の塔として優美な姿が喧伝されている。平安初期の金堂、鎌倉時代の本堂はともに国宝で、各堂には国宝、重文の仏像が安置されている。室生寺の四季は、早春の梅にはじまり、山桜、新緑、淡紅色の石楠花、夏の緑陰、秋になると紅葉、冬はあたり一面が雪に覆われ、訪れるたびに違う表情を見せる」
歴史
「奈良時代末期の宝亀年間(770~780)当時の皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒のため、奈良興福寺の名僧らが室生山中で祈願し病を治したことから、後に天皇の命により、室生寺を創建し、弟子の秀円によって基礎が固められた。秀円の時代、高野山から空海の高弟真泰が、比叡山から天台僧円修が入山し、、、、平安時代中期以降、室生寺は興福寺の末寺でありながら真言密教が盛んに流入し、鎌倉時代末期には本堂や御影堂が建立されている。江戸時代に入り、元禄11年(1698年)、真言僧護持院隆光の力添え、五大将軍徳川綱吉の母・桂昌院の命により法相宗の興福寺から分離独立し、真義真言宗豊山派の寺院となった」
画像上:山門
画像中:境内石楠花の参道
画像下:山門の阿修羅像左
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