古寺素描30-本宮山円城寺9
2017年3月12日 エッセイ
【提婆宮】
本堂左奥の石段をあがる高台に社が鎮座している。渡り廊下をくぐってぬければ全体がよくみえる。神仏習合の立体的な証左の社である。神の使いは狐で部類の酒好きだそうだからそれとおもわせる酒の奉納が見受けられる。
提婆は人間の表面にあらわれる磊落とはことなり、どちらかというと裏面に潜む怨み、呪いを鎮撫奉るのではないのかおものだが、詳しくはわからない。ものの本に提婆宮の神木に恨み釘を打つと恨みが薄れるという言い伝えがあり、映画かなにかでその現象を観た覚えがあって、おどろおどろしい想いが残っている。
深夜の丑三つ時、死に装束で頭に蝋燭を巻き、怨みの相手の氏名・生年月日などを貼り付けた藁わら人形や似顔絵や写真を、頭をとばした五寸釘で神木の幹に打つ、というのだ。
おもうだに鳥肌がたち膝頭ががたがた哭く状況なのだが、見たくも有り見たくもないのが部外者のおもい、呪いをかける側からすればこの行為を他者に観られてはならない、観られたら願いはかなえられない、そして釘は手のひらで打ち込まなけねばならない、という守秘があるそうだ。
おしまいの手のひらで五寸釘を打つというのは如何に考えても不可能である。であるから、いわば呪術という平常ではない世界の行為を未遂に終わらす約であるのではないのか。
神仏の叶うところ、人間の懊悩を安らかに成せるのであれば、これは理に添うところである。
10数年前、訪れたさい提婆宮の裏は杉の巨木が林立していてそこに呪い釘の説明板が有ったと思うが、今はない、しかも打たれた釘の痕もみられたものの、成長した樹皮に巻かれて今に辿ることはできない。
画像上:珍種提婆宮
画像下:提婆宮裏の森閑とした杉の巨木群
本堂左奥の石段をあがる高台に社が鎮座している。渡り廊下をくぐってぬければ全体がよくみえる。神仏習合の立体的な証左の社である。神の使いは狐で部類の酒好きだそうだからそれとおもわせる酒の奉納が見受けられる。
提婆は人間の表面にあらわれる磊落とはことなり、どちらかというと裏面に潜む怨み、呪いを鎮撫奉るのではないのかおものだが、詳しくはわからない。ものの本に提婆宮の神木に恨み釘を打つと恨みが薄れるという言い伝えがあり、映画かなにかでその現象を観た覚えがあって、おどろおどろしい想いが残っている。
深夜の丑三つ時、死に装束で頭に蝋燭を巻き、怨みの相手の氏名・生年月日などを貼り付けた藁わら人形や似顔絵や写真を、頭をとばした五寸釘で神木の幹に打つ、というのだ。
おもうだに鳥肌がたち膝頭ががたがた哭く状況なのだが、見たくも有り見たくもないのが部外者のおもい、呪いをかける側からすればこの行為を他者に観られてはならない、観られたら願いはかなえられない、そして釘は手のひらで打ち込まなけねばならない、という守秘があるそうだ。
おしまいの手のひらで五寸釘を打つというのは如何に考えても不可能である。であるから、いわば呪術という平常ではない世界の行為を未遂に終わらす約であるのではないのか。
神仏の叶うところ、人間の懊悩を安らかに成せるのであれば、これは理に添うところである。
10数年前、訪れたさい提婆宮の裏は杉の巨木が林立していてそこに呪い釘の説明板が有ったと思うが、今はない、しかも打たれた釘の痕もみられたものの、成長した樹皮に巻かれて今に辿ることはできない。
画像上:珍種提婆宮
画像下:提婆宮裏の森閑とした杉の巨木群
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