晩秋と初冬のはざま 2-後楽園 2
2017年1月27日 エッセイ
後楽園は成り立ちからいううと、「公園」ではなく、池田家所有の個人の「庭園」であった。それを明治維新を機に地方行政に譲渡移籍し、個人の運営管理権を手放した経緯があり、多くの江戸時代遺産の大名庭園はこの径路をたどっている。なにせ広大な空間は無産の特権を旨とする身にはとてもかなわぬ固定資産になりはてて崩壊し税金がもろに付加されたのだから城郭から庭園にかかるとんでもない課税を賄える道理がない。農民から徴収する石高に頼っていて、維新の改革はその収入の鎖に大鉈をもってたちきったものであるから、特段産業をもたない素寒貧の大名に支払えるものではなくなった。いいかえれば「庭園」は前時代の「遺産]である。
庶民が箱庭をつくり盆栽庭園で洒落っ気を楽しむのとわけがちがう。多数の家臣にとりかこまれ監視され味気ない
間仕切りの空間で鬱々とした身をおくことをたまさかには放恣さながらの解放感に憧れるのはやぶさかではない、だから遊園式庭園がことさら大名にとりいれられたのだろう、と勝手に推測する。
遊園式庭園は読んで字のごとし、広いs敷地にそれぞれの区画に趣のある造園の工夫があり回遊し楽しむのである。したがって縦長い増築物は無用で、平面的な変化があればいいのである。
真逆が庶民の庭はせまい処に一点に座って眺めるのであるから立体的な造作が必要だ。
折に触れ大名庭園を散策すると、つくずく歴史の為政の成せる業をかみしめるのである。
庶民が箱庭をつくり盆栽庭園で洒落っ気を楽しむのとわけがちがう。多数の家臣にとりかこまれ監視され味気ない
間仕切りの空間で鬱々とした身をおくことをたまさかには放恣さながらの解放感に憧れるのはやぶさかではない、だから遊園式庭園がことさら大名にとりいれられたのだろう、と勝手に推測する。
遊園式庭園は読んで字のごとし、広いs敷地にそれぞれの区画に趣のある造園の工夫があり回遊し楽しむのである。したがって縦長い増築物は無用で、平面的な変化があればいいのである。
真逆が庶民の庭はせまい処に一点に座って眺めるのであるから立体的な造作が必要だ。
折に触れ大名庭園を散策すると、つくずく歴史の為政の成せる業をかみしめるのである。
コメント