古寺素描21-井山宝福禅寺15(番外)
2016年12月20日 エッセイ
雪舟生誕地
縹渺と水田が広がる。
喧騒な街を脱けだして現地に立つと余計にそう想わせる。
その一画に記念地が小さくあった。
すぐ北の国道180号線に車の走音がたち、高速道の高架が立地していると田園の近代化がひたひた押し寄せる気配を感じても、南に翼をひろげる耕作地や松緑のお椀を連ねた丘陵は古代の寺院遺跡のある処なので、無尽に開拓できない、というより成してはならないだろう。
備中国赤浜の呼名は、総社市赤浜が現在の行政名である。
雪舟はここで生まれた。生家は代々小田姓を名乗る武家と記されている。幼少のころ宝福寺の小僧にはいり、10歳にして京都の名刹、臨済宗相国寺派の本山相国寺に移り禅と絵画を勉学している。
その才能は風景画のみならず花鳥風月をも描き、大名庭園の作庭にも及んでいる。
画像上:生誕地
画像下:記念碑
縹渺と水田が広がる。
喧騒な街を脱けだして現地に立つと余計にそう想わせる。
その一画に記念地が小さくあった。
すぐ北の国道180号線に車の走音がたち、高速道の高架が立地していると田園の近代化がひたひた押し寄せる気配を感じても、南に翼をひろげる耕作地や松緑のお椀を連ねた丘陵は古代の寺院遺跡のある処なので、無尽に開拓できない、というより成してはならないだろう。
備中国赤浜の呼名は、総社市赤浜が現在の行政名である。
雪舟はここで生まれた。生家は代々小田姓を名乗る武家と記されている。幼少のころ宝福寺の小僧にはいり、10歳にして京都の名刹、臨済宗相国寺派の本山相国寺に移り禅と絵画を勉学している。
その才能は風景画のみならず花鳥風月をも描き、大名庭園の作庭にも及んでいる。
画像上:生誕地
画像下:記念碑
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