古寺素描18-紅しぐれ12-井山宝福禅寺12
2016年12月17日 エッセイ
燃え立つ秋
臨済宗の西国布教の拠点として隆盛を誇っていたが、天正3年(1575)の備中兵乱で三重塔のぞいて殆どの伽藍は焼失した。塔の残存は奇跡的であっただろう、為に寺は長い期間衰微で復興ならなかったが江戸時代にはいって岡山藩や浅尾藩(陣屋大名)から援助を受け、また幕府からも寺領100石の朱印を賜るなど復興していくのである。
朱色の塔は山容の一隅を華やかに彩り、禅宗らしく山門から仏殿へと真っすぐ連なっている。
画像上下:雪舟像
画像中:三重の塔
臨済宗の西国布教の拠点として隆盛を誇っていたが、天正3年(1575)の備中兵乱で三重塔のぞいて殆どの伽藍は焼失した。塔の残存は奇跡的であっただろう、為に寺は長い期間衰微で復興ならなかったが江戸時代にはいって岡山藩や浅尾藩(陣屋大名)から援助を受け、また幕府からも寺領100石の朱印を賜るなど復興していくのである。
朱色の塔は山容の一隅を華やかに彩り、禅宗らしく山門から仏殿へと真っすぐ連なっている。
画像上下:雪舟像
画像中:三重の塔
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