古寺素描8ー備中国分寺5(完)
2016年10月24日 エッセイ
「豊穣の風」
垂れた稲穂の背に、漆黒に染めあげた五重塔は吉備路の象徴でもある。
世のもたらす辛酸の坩堝の中で、天に向かって相輪をかざしている塔は人心を掬うてねぎらい、あまねく傍観する者に口舌に念じるだけでさえ安らぎを与えているのであろう。念じるということは特定の経典に帰依していなくても、なにかに頼ってくちすさびぶ庶民の心を慮からり、生を辿るうち知らず知らずに重たくなる肩の凝りをホっと抜いてくれるもの、また稲作に果物に豊穣を願ってしかるべし、それは路傍の地蔵に手を合わせる想いに似てほかになにがあろう、一路のよすが、、、、それでいいのではないか。
門前の小道は直線的にたどると国分寺の山門と向き合う。左右の草地は焼失前、いわく創建時の広壮な跡で、南門・中門があって幾つかの伽藍が建ち並んでいて、今にそれらの礎石や痕跡を残すのみでありながら栄誉の滴を枯らせないている。
山門に[日照山国分寺」の石柱と額が刻み書かれている。門を入ると正面に[勅使門]、右に[本堂]がある。
境内には手入れのとどいた古松が数本あり、その樹間から眺める五重塔の景観がもっとも秀逸である。古の風が流れていた。「完」
画像上:境内からの五重塔
画像中:勅使門
画像下:本堂
垂れた稲穂の背に、漆黒に染めあげた五重塔は吉備路の象徴でもある。
世のもたらす辛酸の坩堝の中で、天に向かって相輪をかざしている塔は人心を掬うてねぎらい、あまねく傍観する者に口舌に念じるだけでさえ安らぎを与えているのであろう。念じるということは特定の経典に帰依していなくても、なにかに頼ってくちすさびぶ庶民の心を慮からり、生を辿るうち知らず知らずに重たくなる肩の凝りをホっと抜いてくれるもの、また稲作に果物に豊穣を願ってしかるべし、それは路傍の地蔵に手を合わせる想いに似てほかになにがあろう、一路のよすが、、、、それでいいのではないか。
門前の小道は直線的にたどると国分寺の山門と向き合う。左右の草地は焼失前、いわく創建時の広壮な跡で、南門・中門があって幾つかの伽藍が建ち並んでいて、今にそれらの礎石や痕跡を残すのみでありながら栄誉の滴を枯らせないている。
山門に[日照山国分寺」の石柱と額が刻み書かれている。門を入ると正面に[勅使門]、右に[本堂]がある。
境内には手入れのとどいた古松が数本あり、その樹間から眺める五重塔の景観がもっとも秀逸である。古の風が流れていた。「完」
画像上:境内からの五重塔
画像中:勅使門
画像下:本堂
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