古寺素描5-備中国分寺2
2016年10月1日 エッセイ
「点と線の干戈」
歴史上には忽然と剛腕の人物が現れる。
忽然という表現を使ったけれど、種も仕掛けもなく、直立的に出体するのではなくて時代背景の混乱や熟成度、その中で野望のひときわ秀逸な人物が、剛腕・戦略・計略で自己欲を鼓舞できる性格ではなくてはならない。ましてや人心を掌握してからこそ安寧を果たすのである。
そういう意味ではこの人、96代後醍醐天皇はどうであったろうか。
源平など有力武家が台頭して親政制度が弱体し、武家の支援なくては成り立たなくなった潮流に逆らいかっての天皇政治復活を願うあまり剛腕・戦略・計略で武家をあやつり、時代を混乱の坩堝におとしいれた。北条鎌倉幕府の統幕を計り、足利尊氏・新田義貞なる源氏武家の名家をもって滅亡させ親政を奪回して治天の君になったが、朝廷の皇統ルールを反故、結果人心を得られず自己欲の行使の果てに、朝廷無視して独自の政策を乱発する尊氏に対して義貞に追討を命じた。この間、魑魅魍魎の事変が朝廷の内部であるいは天皇と武家のあいだで浮き沈みしている。つまるところ、天皇二系にわかち南北朝時代に突入する。尊氏に渡した三種の神器は偽物と口語した後醍醐天皇は吉野に南朝を主宰し、北朝には光厳天皇が即位した。北朝に足利尊氏、南朝に新田義貞、楠正成がそれぞれ加担した。
実際に干戈を交えるのはこれら武家である。武力をもたない朝廷は権謀でこれを補う。このときの事変は、室町時代後期の悲劇以外なにものでもない史上の点であった。
画像上:足利尊氏
画像下:新田義貞
歴史上には忽然と剛腕の人物が現れる。
忽然という表現を使ったけれど、種も仕掛けもなく、直立的に出体するのではなくて時代背景の混乱や熟成度、その中で野望のひときわ秀逸な人物が、剛腕・戦略・計略で自己欲を鼓舞できる性格ではなくてはならない。ましてや人心を掌握してからこそ安寧を果たすのである。
そういう意味ではこの人、96代後醍醐天皇はどうであったろうか。
源平など有力武家が台頭して親政制度が弱体し、武家の支援なくては成り立たなくなった潮流に逆らいかっての天皇政治復活を願うあまり剛腕・戦略・計略で武家をあやつり、時代を混乱の坩堝におとしいれた。北条鎌倉幕府の統幕を計り、足利尊氏・新田義貞なる源氏武家の名家をもって滅亡させ親政を奪回して治天の君になったが、朝廷の皇統ルールを反故、結果人心を得られず自己欲の行使の果てに、朝廷無視して独自の政策を乱発する尊氏に対して義貞に追討を命じた。この間、魑魅魍魎の事変が朝廷の内部であるいは天皇と武家のあいだで浮き沈みしている。つまるところ、天皇二系にわかち南北朝時代に突入する。尊氏に渡した三種の神器は偽物と口語した後醍醐天皇は吉野に南朝を主宰し、北朝には光厳天皇が即位した。北朝に足利尊氏、南朝に新田義貞、楠正成がそれぞれ加担した。
実際に干戈を交えるのはこれら武家である。武力をもたない朝廷は権謀でこれを補う。このときの事変は、室町時代後期の悲劇以外なにものでもない史上の点であった。
画像上:足利尊氏
画像下:新田義貞
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