古寺素描4ー備中国分寺1
2016年9月24日 エッセイ
「赤米」
初秋の国分寺は重たげな鉛色の空の下で輪郭をぼやけさせ、五重塔は不安定な建姿になって空に融けこもうとしていた。
澄みきった色、薫風の季節であるのに、今年は悪天候の蒸れから一向に解放されないでいる。
過日、国分寺前の田んぼに赤米が稔った報道があった。タイミングがズレて行き損ねているうち、ようやくおとずれた涼気に誘われて想いたつことができた。
赤米は古代米の一種。種皮の赤いのが色映えし、収穫したものを神前にお供えする神事が総社の新庄に残っていて、10年ほど前になるけど見にいったことがある。真っ赤に染まった穂は直立して稔には少し早かった記憶がある。ただ何処でも栽培するものではない認識があり、域外での国分寺あたりの栽培報道には耳目をたてたのであるが、以前からレンゲ・ヒマワリ・コスモス・菜の花など国分寺をバックにした彩花演出は稀ではなく毎行事ようなものになっているので、「赤米」も有りかなと、思いなおした。
暦が10月になって赴いたので、稲穂はたわわに稔り重たげに葉柄へ垂れて、しかもその色は赤というより鉄錆色に似ていて、離れた処からでは明確にそれとは識別できない、穂が直立して鮮やかな赤色であったときはさぞかし見栄えして塔をつつんでいただろう。
平日なので観光客は疎ら、絶えぬ程度に散見できた。
遊歩道に留まって振り省ってみれば、南西方向に他峰より背伸びした山が目にとびこんでくる。
標高302メートルの里山・福山である。
変哲もない穏やかな稜線をみせているが、南北朝時代の足利ー新田の合戦場になり、山手盆地が兵火によって灰燼になった謂れもつ発端の山なのである。
横道に逸れるが国分寺も戦火にまきこまれているので、次頁からその歴史をつまみぐいしてみたい。
註:画像上でクリックしてください。大きくなります。
画像上:赤米の田んぼ&国分寺全景
画像下:合戦があった福山全稜
初秋の国分寺は重たげな鉛色の空の下で輪郭をぼやけさせ、五重塔は不安定な建姿になって空に融けこもうとしていた。
澄みきった色、薫風の季節であるのに、今年は悪天候の蒸れから一向に解放されないでいる。
過日、国分寺前の田んぼに赤米が稔った報道があった。タイミングがズレて行き損ねているうち、ようやくおとずれた涼気に誘われて想いたつことができた。
赤米は古代米の一種。種皮の赤いのが色映えし、収穫したものを神前にお供えする神事が総社の新庄に残っていて、10年ほど前になるけど見にいったことがある。真っ赤に染まった穂は直立して稔には少し早かった記憶がある。ただ何処でも栽培するものではない認識があり、域外での国分寺あたりの栽培報道には耳目をたてたのであるが、以前からレンゲ・ヒマワリ・コスモス・菜の花など国分寺をバックにした彩花演出は稀ではなく毎行事ようなものになっているので、「赤米」も有りかなと、思いなおした。
暦が10月になって赴いたので、稲穂はたわわに稔り重たげに葉柄へ垂れて、しかもその色は赤というより鉄錆色に似ていて、離れた処からでは明確にそれとは識別できない、穂が直立して鮮やかな赤色であったときはさぞかし見栄えして塔をつつんでいただろう。
平日なので観光客は疎ら、絶えぬ程度に散見できた。
遊歩道に留まって振り省ってみれば、南西方向に他峰より背伸びした山が目にとびこんでくる。
標高302メートルの里山・福山である。
変哲もない穏やかな稜線をみせているが、南北朝時代の足利ー新田の合戦場になり、山手盆地が兵火によって灰燼になった謂れもつ発端の山なのである。
横道に逸れるが国分寺も戦火にまきこまれているので、次頁からその歴史をつまみぐいしてみたい。
註:画像上でクリックしてください。大きくなります。
画像上:赤米の田んぼ&国分寺全景
画像下:合戦があった福山全稜
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