百閒川のいろどり53-荒手「越流堤」5
2016年9月19日 エッセイ
「一の荒手」「二の荒手」「三の荒手」と築かれたようだが現存するのは「一の荒手」「二の荒手」だけだ。「三の荒手」は原尾島の位置あたりとされるが、その痕跡さえ今は消失している。
「一の荒手」
旭川と百閒川の境界堤防を、幅厚くする工事が本年6月に完成した。まだ間がないので、草木の芽も生えていない山土のあつくるしいほどの盛土の堤防が一直線に夏陽に映え伸びている。長い工事だったが、これも堤防決壊の防災をはかるものだ。
灼熱の陽射しのなかを麦藁帽子をかぶって歩いてみた。舗装なら陽炎がたつほどの焼けた太陽の下だったが、堤防下の叢はいくぶん凌げたものの草いきれに辟易しながら、おっかなびっくり長虫がいつでてくるかわからないような径だった。つきあたりは藪になったので堤防上にあがり、少し歩を進めると草蔦に覆われた巻石積みにぶつかる。草道をたどって石敷きの凹部へでた。これが「一の荒手(越流堤)」で旭川の氾れた濁流を此処で百閒川へ越流させる。
画像上下:一の荒手
右が旭川 左が百閒川
「一の荒手」
旭川と百閒川の境界堤防を、幅厚くする工事が本年6月に完成した。まだ間がないので、草木の芽も生えていない山土のあつくるしいほどの盛土の堤防が一直線に夏陽に映え伸びている。長い工事だったが、これも堤防決壊の防災をはかるものだ。
灼熱の陽射しのなかを麦藁帽子をかぶって歩いてみた。舗装なら陽炎がたつほどの焼けた太陽の下だったが、堤防下の叢はいくぶん凌げたものの草いきれに辟易しながら、おっかなびっくり長虫がいつでてくるかわからないような径だった。つきあたりは藪になったので堤防上にあがり、少し歩を進めると草蔦に覆われた巻石積みにぶつかる。草道をたどって石敷きの凹部へでた。これが「一の荒手(越流堤)」で旭川の氾れた濁流を此処で百閒川へ越流させる。
画像上下:一の荒手
右が旭川 左が百閒川
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