古寺素描1ー紀州根来寺1
2016年8月21日 エッセイ
人気のない森閑に蝉さえ憚る巨木に彩られた空間が身を覆うようだ。信徒でもなく宗徒でもなく、さらに熱心な教徒でもないのに山奥の何処の古寺宗域にふみいれたときは琴線をはじかれるような、雑念の払拭を迫られる気配をおぼえる。
和歌山県岩出市根来が、新義真言宗総本山の根来寺のあるところ。京奈和自動車道の岩出・根来ICから東への緑濃い山中に建立されている。我が地元の歴史探訪クラブに参加させてもらって、念願叶うバス旅行をしてきた。
真言宗は空海開祖の高野山が本山だが、新義真言宗というのは空海の弟子だった覚鑁が、1132年鳥羽上皇から葛城山系にあった山岳仏教の豊福寺を院宜されたとき、名を根来寺と改称し、真言宗の本尊である大日如来と金剛サッタ、尊勝仏頂の三尊を安置信仰したことにより真言宗より独立、新義真言宗をお輿して総本山になっている。資料の上では詳しい記述はないのだが、このことによる高野山との諍いはガイドの説明にうかがえた。
宗教上での経緯はさておき、興味津津なのは信仰の清浄境地を超えて武士そこのけの領地・武力・争乱の権力行使のあざとさである。そこには信心教学を尊ぶ心得など枯葉のように舞い散り地に堕ちているではないか。
人間本来の地金は金も銀も胴もない筈である、なのに欲深さを清浄清廉し学び教える宗教は、組織され権力を掌握すれば武闘のていたらくであったことが過去の歴史には見えてくるのである。
和歌山県岩出市根来が、新義真言宗総本山の根来寺のあるところ。京奈和自動車道の岩出・根来ICから東への緑濃い山中に建立されている。我が地元の歴史探訪クラブに参加させてもらって、念願叶うバス旅行をしてきた。
真言宗は空海開祖の高野山が本山だが、新義真言宗というのは空海の弟子だった覚鑁が、1132年鳥羽上皇から葛城山系にあった山岳仏教の豊福寺を院宜されたとき、名を根来寺と改称し、真言宗の本尊である大日如来と金剛サッタ、尊勝仏頂の三尊を安置信仰したことにより真言宗より独立、新義真言宗をお輿して総本山になっている。資料の上では詳しい記述はないのだが、このことによる高野山との諍いはガイドの説明にうかがえた。
宗教上での経緯はさておき、興味津津なのは信仰の清浄境地を超えて武士そこのけの領地・武力・争乱の権力行使のあざとさである。そこには信心教学を尊ぶ心得など枯葉のように舞い散り地に堕ちているではないか。
人間本来の地金は金も銀も胴もない筈である、なのに欲深さを清浄清廉し学び教える宗教は、組織され権力を掌握すれば武闘のていたらくであったことが過去の歴史には見えてくるのである。
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