吉井川のいろどり3-閘門3
2016年6月6日 エッセイ
「閘門」(こうもん)とは平常使わない言葉で、門構えのなかに甲があるので広辞林でひくと、[(運河などで)船を高低差の大きい水面に航行させるため、水位を調整する装置の水門]と書かれていた。
ここでいうと、取水する吉井川の水位が高く放流する倉安川が低いので、吉井川の堤防を掘削して第一水門をつくり内側に第二水門を構築、第一と第二の間には船溜まり(高瀬廻し)を設けている。吉井川からの高瀬舟は第一水門を開くことで水量とともに船溜まりに入って、ついで第一水門は閉め、船溜まりで船の方向調整、通行税の徴収手続きをおこなったのち、第二水門を除除に開けて放水し受手の倉安川と同等の水位まで下げ船を通過させる、逆の場合は上記の手順が反対になる。また洪水時の氾濫を避けた退避場所にもなった。船の運航の便をまかなうばかりではなく灌漑に大きく貢献した。こういった方式は古代中国に多くあったようで、近くはパナマ運河にも採用されている。
第二水門の上に番小屋があって船溜まりの南側にある石段の上には番所屋敷があり、水門や側面のそれらを支える石垣は野面積みでありながら備前積みの頑強さと美しさを今にのこしている。
着工は1679年(延宝7)の2月、完成したのが同年8月といわれているから、当時の工作としては短期間の完成である。
ここでいうと、取水する吉井川の水位が高く放流する倉安川が低いので、吉井川の堤防を掘削して第一水門をつくり内側に第二水門を構築、第一と第二の間には船溜まり(高瀬廻し)を設けている。吉井川からの高瀬舟は第一水門を開くことで水量とともに船溜まりに入って、ついで第一水門は閉め、船溜まりで船の方向調整、通行税の徴収手続きをおこなったのち、第二水門を除除に開けて放水し受手の倉安川と同等の水位まで下げ船を通過させる、逆の場合は上記の手順が反対になる。また洪水時の氾濫を避けた退避場所にもなった。船の運航の便をまかなうばかりではなく灌漑に大きく貢献した。こういった方式は古代中国に多くあったようで、近くはパナマ運河にも採用されている。
第二水門の上に番小屋があって船溜まりの南側にある石段の上には番所屋敷があり、水門や側面のそれらを支える石垣は野面積みでありながら備前積みの頑強さと美しさを今にのこしている。
着工は1679年(延宝7)の2月、完成したのが同年8月といわれているから、当時の工作としては短期間の完成である。
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