吉井川のいろどり1-閘門1-高瀬舟
2016年6月2日 エッセイ
はじめに 「閘門」の読みは見てのごとし「こうもん」で、意味あいは後頁に述べます。
古来、山側と海側の物資交流は欠かせざる生活循環でありつづけ文化発展の起点でもあった。現在でもその原則は無変である。
米麦野菜などの食材、良質木材、砂鉄等鉄鉱石を下流域へ、下流域からは塩、海産物、衣類、雑貨加工品などの物資を上流域へ廻送して流通させた。運送手段で、先ず想いつくのが人力、ついで牛馬となるがそれでも荷役量となると多寡がしれている。ある程度の積荷を確保して長距離輸送をまかなうのには、川上から下流まで一途通じている河川の利用がもっとも効率的であることに着眼したのは当然だったろう。
舟そのものも川相に適うように改良を重ね、今は記念品として保存展示されている舟形に終結になった。したがってそれぞれの適合は川相にあわして若干ちがうにしろ、長さ20メートル横幅3メートル内外、深さ0.7メートルが標準で、底は波を切るより川床の岩石を噛まないように平底に工夫した。米勘定して250~500俵は積載できたようだ。錦絵などをみると上舟に曳き綱をつけた上り舟には両岸の大勢の人足が依ってひっぱっているし、時には牛を使って牽引しているのをみると重労働だったようだ。
船頭はじめ4~5人で操船した。
古来、山側と海側の物資交流は欠かせざる生活循環でありつづけ文化発展の起点でもあった。現在でもその原則は無変である。
米麦野菜などの食材、良質木材、砂鉄等鉄鉱石を下流域へ、下流域からは塩、海産物、衣類、雑貨加工品などの物資を上流域へ廻送して流通させた。運送手段で、先ず想いつくのが人力、ついで牛馬となるがそれでも荷役量となると多寡がしれている。ある程度の積荷を確保して長距離輸送をまかなうのには、川上から下流まで一途通じている河川の利用がもっとも効率的であることに着眼したのは当然だったろう。
舟そのものも川相に適うように改良を重ね、今は記念品として保存展示されている舟形に終結になった。したがってそれぞれの適合は川相にあわして若干ちがうにしろ、長さ20メートル横幅3メートル内外、深さ0.7メートルが標準で、底は波を切るより川床の岩石を噛まないように平底に工夫した。米勘定して250~500俵は積載できたようだ。錦絵などをみると上舟に曳き綱をつけた上り舟には両岸の大勢の人足が依ってひっぱっているし、時には牛を使って牽引しているのをみると重労働だったようだ。
船頭はじめ4~5人で操船した。
コメント