里山のいろどり12ー里山センター1
2016年5月16日 エッセイ
一定の年齢にはいりこむと、郊外の自然裡に足をすすめていたら、時として故郷の風景が脳裏を足早に通りすぎるのを、あれっと自覚することがある。現実に見ている描写に少年期の想いがラップして、その頃の風景と似通うのである。想いは留まらずに泡沫のように消えてしまい、なんの繋がりがあるのだろうかと思考するのだが、単に故郷のある匂いや開がりがたまさかそこに湧き出ていたからで、特段の望郷や懐古に浸っていた訳ではない。日本の原風景といわれるような現実にであったら、DNAに刷りこまれた少年期の光景が頭に点滅したのだろう。
百閒川の堤防道路を沢田の里山センターへの径は、まさしくそういったスクリーンである。
画像上:竹の秋 幹も葉も紅葉のように黄味を帯びてい て、季語では今の時期の竹を「竹の秋」という。筍に養分を注ぎ窶れた現象である。
中:ため池の小径1 集落にむかって建つ祠
下:ため池の小径2 バードウオッチングに良好
百閒川の堤防道路を沢田の里山センターへの径は、まさしくそういったスクリーンである。
画像上:竹の秋 幹も葉も紅葉のように黄味を帯びてい て、季語では今の時期の竹を「竹の秋」という。筍に養分を注ぎ窶れた現象である。
中:ため池の小径1 集落にむかって建つ祠
下:ため池の小径2 バードウオッチングに良好
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