里山のいろどり2-牡丹2
2016年4月28日 エッセイ コメント (1)
虫明・黒井山牡丹園
いきなり変種で恐縮、花片の先端が千々に裂け火焔の形をしている。
牡丹が日本に定着してから、文芸に絵画に多くとりいれられ、文字芸術の分野では古今集以降の歌集に格好の題材としてつかわれている。
明治の歌人木下利玄は下記の歌を詠んでいる。
「 牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ」
追記※ 木下利玄は岡山足守藩の最後の藩主木下利恭の弟利永の二男として生まれ、5歳の時、利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となって家督を継ぐ。足守木下家は豊臣秀吉の妻寧々の兄の系統、一万石を領して領地足守に陣屋をおき、領主は江戸に在住していた。短歌に優れた才をみせた利玄はアララギ派で活躍すのであるが、若くして結核に病み、この歌は、病床からみる庭に牡丹が静かに咲いていて自分も同じように静かである、という心境を詠んだもの。
足守には利玄の生家があって、隣接の近水園の花畑には、たしか牡丹がたくさん栽培されていたように記憶する。
いきなり変種で恐縮、花片の先端が千々に裂け火焔の形をしている。
牡丹が日本に定着してから、文芸に絵画に多くとりいれられ、文字芸術の分野では古今集以降の歌集に格好の題材としてつかわれている。
明治の歌人木下利玄は下記の歌を詠んでいる。
「 牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ」
追記※ 木下利玄は岡山足守藩の最後の藩主木下利恭の弟利永の二男として生まれ、5歳の時、利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となって家督を継ぐ。足守木下家は豊臣秀吉の妻寧々の兄の系統、一万石を領して領地足守に陣屋をおき、領主は江戸に在住していた。短歌に優れた才をみせた利玄はアララギ派で活躍すのであるが、若くして結核に病み、この歌は、病床からみる庭に牡丹が静かに咲いていて自分も同じように静かである、という心境を詠んだもの。
足守には利玄の生家があって、隣接の近水園の花畑には、たしか牡丹がたくさん栽培されていたように記憶する。
コメント
主人が臥せる床の間に牡丹の生け花。
命にはなお定まれるついであり。
牡丹がくれた静かな心は
花に託した誰かの心かもしれません。