万歳時記ー旭川のいろどり23・半田山の冬5
2016年1月31日 趣味
竹林春秋
錦絵のような紅葉の時期、竹はまさしく[秋」ではない、「春」だ。
膚に脂がよみがえり幹は太とぶとしく立脚し濃く繁った葉で池の水面を鳴らしながら邪気を払うように騒ぐのは、それは竹そのものが精気のさかりなのである。禅僧のあしもとに及ばぬ凡人ながらこそ、この季節竹やぶに向かうと自然の精気に圧倒されるのである。
秋の竹は、季語でいうと「竹の春」なのである。
筍を産み育て、養分をそそぎ暑い夏に耐えて、艶も照りも衰えた親竹は、本来の猛る映えをとりもどす季節が秋で,すなわち「春」なのだ。もっとも強い精気を大気に吐きだしている。
ひるがえって、春は筍を地中に芽ぐみ養分をそそいでいるので幹は白々しく「竹の秋」という。
もうすぐ竹藪は「秋」を迎える。
半田山の竹林は東の鞍部に、椿園とよりそって展がっている。
錦絵のような紅葉の時期、竹はまさしく[秋」ではない、「春」だ。
膚に脂がよみがえり幹は太とぶとしく立脚し濃く繁った葉で池の水面を鳴らしながら邪気を払うように騒ぐのは、それは竹そのものが精気のさかりなのである。禅僧のあしもとに及ばぬ凡人ながらこそ、この季節竹やぶに向かうと自然の精気に圧倒されるのである。
秋の竹は、季語でいうと「竹の春」なのである。
筍を産み育て、養分をそそぎ暑い夏に耐えて、艶も照りも衰えた親竹は、本来の猛る映えをとりもどす季節が秋で,すなわち「春」なのだ。もっとも強い精気を大気に吐きだしている。
ひるがえって、春は筍を地中に芽ぐみ養分をそそいでいるので幹は白々しく「竹の秋」という。
もうすぐ竹藪は「秋」を迎える。
半田山の竹林は東の鞍部に、椿園とよりそって展がっている。
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