とんび歳時記ー旭川のいろどり7
2015年11月9日 趣味
岡山城
織豊の戦国時代、天神山・石山・岡山の三丘が点在していた地に、金川城主松田元輝の家臣、金光宗高氏が石山に城をかまえていた。沼城の宇喜多直家とは松田氏の姻戚でもあり当人同士は碁敵の親交があったのだが、碁打ちのその最中に意に含むところのあった直家に謀殺され石山を奪われて領主金光氏はこれで没落した。
宇喜多直家は東の斎藤道三とならび下剋上をいとわず謀殺に謀殺をかさねて名をなした人物、生涯戦らしい戦をしたのは成羽城主三村氏との明禅寺の戦いぐらいもんで他は暗殺謀略だらけと言われているから、相当の梟雄であったのは間違いではない。もっとも、こういう手段も戦国の戦略の裡と評価されているので後世の尺度で悪人とはいちがいに評するわけにはいかない。
譜代はじめ家臣団を大事に扱い、岡山城下の基盤をつくった直家である。
織豊の戦国時代、天神山・石山・岡山の三丘が点在していた地に、金川城主松田元輝の家臣、金光宗高氏が石山に城をかまえていた。沼城の宇喜多直家とは松田氏の姻戚でもあり当人同士は碁敵の親交があったのだが、碁打ちのその最中に意に含むところのあった直家に謀殺され石山を奪われて領主金光氏はこれで没落した。
宇喜多直家は東の斎藤道三とならび下剋上をいとわず謀殺に謀殺をかさねて名をなした人物、生涯戦らしい戦をしたのは成羽城主三村氏との明禅寺の戦いぐらいもんで他は暗殺謀略だらけと言われているから、相当の梟雄であったのは間違いではない。もっとも、こういう手段も戦国の戦略の裡と評価されているので後世の尺度で悪人とはいちがいに評するわけにはいかない。
譜代はじめ家臣団を大事に扱い、岡山城下の基盤をつくった直家である。
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